あの日の未来
一本の仕事を受けた事を悟浄はその夜三蔵に伝えた。
「だから、暫く留守にする」
「・・・・・・・・わかった」
ほんの少しの間の後、三蔵は一言呟きそこでその話は終わった。
今までも仕事で家を空けることは多かったが、今回は場所が場所だしかなりの長期になる。
それからの出発までの二週間を悟浄は雑用やら準備で慌しく過ごした。
出発当日、
見送りはいらない、と全ての荷物を担ぎ玄関へと歩き出そうとしかけて悟浄は振り返った。
「三蔵・・。俺は、お前が・・・・、お前を―」
「遅れるぞ」
最後まで言わせて貰えなかった言葉が宙に浮いた。
一度として口にした事の無い言葉だった。
空港までの車の中でも飛行機の中でもこの仕事を受けたことに後悔は無かった。
被写体は子供。
場所は内戦の続くアフリカ。
そして一冊の写真集として出版される。
依頼があった時、迷わず悟浄は承諾した。
何度か飛行機を乗り換え悟浄が降り立った場所は近代的な高層ビルが立ち並ぶ大きな都市だった。
国際空港がある都市はどの国も大抵こんなものだ。
違うのはその大都市を離れれば毎夜誘拐や襲撃を恐れる人々がいることだった。
悟浄が撮らなければならないのはこうした子供達だ。
怯える子供。
誘拐され少年兵、性的奴隷にされた子供。
そこから命からがら逃げ出した子供。
逃げ出したものの心に身体に大きな傷を負った子供。
それから、
歌う子供。
遊ぶ子供。
笑う子供。
悟浄は撮り続けた。
どの子供を撮る時もファインダーを覗く時は自分の感情は遥か彼方へ追いやった。
写真として残せるのは一瞬の表情。
その瞬間を逃す訳にはいかない。
カメラを持つ手が震えたり、ファインダーの向こうが滲んで見えないなどという事はあってはならない。
出版社との連絡の為、都市に行った時には必ず三蔵にも手紙を出した。
封筒の中に写真を一枚だけ入れた。
一台だけ持ってきたポラロイドで写した風景写真。
どこまでも続く青空。
地平線に沈む太陽。
乾いた大地。
青々と茂る草原。
封筒の裏は無記名で出した。
書き記す住所が無い。
ある程度覚悟していたが、やはり危険な時もあった。
車の故障で立ち往生し荒地で干からびそうになった時、
深夜に付近で轟く爆音や銃声で飛び起きた時、
草むらからいきなり飛び出してきた年端もいかない少年にカラシニコフを突きつけられた時、
いつも三蔵の顔が浮かんだ。
あの日伝えられなかった言葉が蘇り、諦める事を許さなかった。
日中は仕事の事しか考えられなかったが、夜が辛かった。
安心出来る場所で熟睡出来る夜はいい。
屋根や壁があって無いような場所で浅い眠りになる夜は、必ず夢を見た。
意識してどうにか出来る筈も無く、夢の中で三蔵に触れる自分にすら嫉妬した。
危険な事も、長期にわたる事も、仕事内容が精神的にキツい事も、全て承知の上で受けた。
ただ、一つの誤算があっただけだ。
電話はかけようと思えばかけられた。
だが、声を聴いてしまえば弱音を吐きそうでかけられなかった。
雨季はあるものの気温の差が殆ど無く四季も無い国で悟浄は約一年を過ごした。
そして今、充分満足のいくものを撮り終え機上の人となっていた。
あと数時間もすれば日本だ。
仕事をやり遂げた充実感を感じつつ、数時間後の不安が悟浄を襲う。
自分本位な理由で電話もかけず、写真だけを送り続けた一年。
三蔵が受け取っていたかすら判らない。
あの日宙に浮いた言葉は今もあそこにあるだろうか。