At the end of summer








冷めたコーヒーを一口啜った後、三蔵はベランダの方を見た。
そこには、悟浄がこちらに背を向けてしゃがみ込んでいた。
もうかなりの時間が経つ。
足が痺れないのだろうか、と思いながらも声はかけない。
動かない背から視線を剥がし、またコーヒーを啜った。
煙草を吸う。
吐き出した煙は、ベランダから漂う重苦しい空気のせいか、上には昇らず水平に広がった。
立て続けに吐いてみると、視界は白くぼやけて見えた。
まったくもって鬱陶しい。
必要以上に強く押し付け火を消した。
同じように消されて縮んだ吸殻が、既に何本も灰皿の中にある。
三蔵は、冷めきって不味くなったコーヒーが入ったカップを手に取ったものの、飲むのをやめた。
わざと大きな音を立ててカップをテーブルに置く。
その音が聞こえたはずの背は、やはり動かない。
だが、三蔵は声をかけなかった。
あれは演技なのだ。
まるでこの世の悲しみを全て背負ったかのような憂いを帯びたあの背は演技なのだ。



事の発端は二週間ほど前に遡る。
毎年頑として首を縦に振らなかった悟浄の花火大会への誘いに、今年とうとう根負けして三蔵は承諾した。
承諾はしたが、散々文句を言った。
『あんな人込みの中にわざわざ出かけようって人間の気が知れねえ』
『野郎二人で花火見物なぞいい笑いもんだ』
『てめぇは忙しいだろうが』
『今年が最初で最後だ。二度と行かねえからな』
など思いつく限りの文句を言ったが、悟浄はそのどれにも『大丈夫、大丈夫』と答えるばかりだった。
大して聞いてなかったに違いない。
ついでに、『大体、花火なんざてめえの頭ん中でいつも上がりっぱなしじゃねえか』と言った時も、『大丈夫、大丈夫』だった。
そして当日、多少遅れはしたものの本当に悟浄は都合をつけてやってきた。
だが、三蔵に急用が出来た。
誓って言える。
わざとではない。
一度承諾した以上、どんなに気が乗らずとも行くつもりでいた。
つもりではいたが、優先順位を考えると急用の方を取らざるを得なかった。
という次第で、最初で最後になるはずだった花火見物は流れたのだった。




そんな事があったにも関わらず、三蔵は悟浄の態度が演技だと確信していた。
そもそも、今日持ってきたものが線香花火だという事に作為的なものを感じずにいられない。
その持参した大量の線香花火を、悟浄は一人ベランダでやっている。
陽も暮れぬ内から黙々と、だ。
これは演技以外の何ものでもないだろう。
三蔵は立ち上がり、不味いコーヒーを流しへ捨てた。
冷蔵庫から缶ビールを取り出し、その場で半分ほどを飲む。
残りが入った缶を持ったままベランダの方へと歩いた。

「おい」

悟浄の背後に立ち、呼びかけた。
返事はない。
線香花火の燃えるちりちりとした音だけがする。
三蔵は一旦缶を床に置き、テーブルの上から煙草や灰皿を取って、また戻った。
腰を下ろしながら煙草に火を点ける。

「終わっちまうな」

悟浄が呟く声が聞こえた。

「線香花火か?」
「夏が」
「ああ、終わるな」
「線香花火もだけどな。ラスト二本。一本はアンタがやって」

三蔵は、振り向かずに腕だけ伸ばして渡された花火に火を点けた。
床に火種が落ちないよう灰皿を真下に置く。

「夏の終わりって、何かやり残した気分になんねぇ?」
「何かって何だ?」
「何かは何か」

声の聞こえ方から言って悟浄は下を向いているようだった。
火種を見つめているのだろう。
線香花火をする時にそうなるのは何故だろう、と同じく火種を見つめながら三蔵は思った。

「来年の夏のために取っておいてんじゃねえのか」

今にも落ちそうな程火種が大きくなっている。
左手に持った煙草の灰もそろそろ危ない。
右手を極力動かさぬよう左手を灰皿に近付ける。
あともう少し、というところで火種が落ちた。

「あ」

思わず声が出た。

「オレの勝ち」

と言った直後に悟浄の火種も落ちたらしく「あ」と続いた。

「大した差は無えな」
「それでも勝ちは勝ちだろ?」
「勝負したつもりはねえよ」

さほど吸わずに短くなった煙草を消してビールを飲む。

「なあ、来年のためつったよな? って事は花火――」

最後まで言わせず「行かねえよ」と三蔵は答えた。
やっぱダメだったか、と立ち上がろうとした悟浄が派手に転んだ。

「足!足が痺れたー!」

苦悶の表情を浮かべる悟浄の足を、三蔵はあちこち叩いた。
悟浄はもはや声にならないようで、喉の奥で唸るだけだった。
暫し悶絶した後、悟浄が掠れた声を出した。

「痺れ損かよ・・・」
「線香花火なら来年も付き合ってやる」

いまだ立ち上がれない悟浄に、三蔵はまだ残りが入っている缶ビールを手渡した。
寝転んだままで悟浄がそれを飲む。
風に乗り、ちりんと微かに風鈴の音がした。














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