微かに硝煙の匂いがした。
目と鼻には自信がある。
引き寄せられたのは硝煙にだったのか、はたまたそれを纏っていたのがその男だったからなのか。
いずれにしろ、突き上げてきた衝動は抑えきれるものではなかった。
Impulse
その場で捕らえようとした自分の腕をかろうじて押さえ込み、素知らぬ顔で擦れ違った。
角を曲がり数歩歩いたところで連れに用事を忘れていたと告げた。
勝手に女だと勘違いしてくれたのをいい事に適当に話を合わせ引き返す。
三蔵の後姿はまだ見えていた。
先刻と全く変わらぬ歩調で歩いている。
悟浄は駆け出した。
追い付きその三蔵の腕を後ろから引っ掴むと、ビルとビルの間の狭い隙間に連れ込んだ。
引き摺り込んだ、と言った方が正しいかも知れない。
よろける三蔵を壁に押し付け髪に顔を埋めた。
間違い無い。
染み込んだ硝煙の匂いをはっきりと感じた。
埋めた顔を離すと三蔵が視線を上げた。
その表情は驚いた風でも怒った風でもない。
見ようによっては笑みを浮かべているようにも見えた。
その瞬間、衝動は理性を置き去りにした。
人が二人、並んで立てるかどうかの隙間。
先は塀の行き止まり。
灯りも無く真っ暗だった。
足元には行き場所を失ったガラクタやゴミの類が散乱している。
足を動かす度に紙切れのがさがさとした音、薄っぺらなプラスチックが割れる軽い音がした。
「・・・・・ヤベ」
「あ?」
「無い・・・」
「何が」
「だからアレ・・・。今手持ちが無い」
「・・・・・・・・使えねぇ奴だな」
いよいよ、となった時悟浄は気付いた。
普段切らした事が無い、と言うよりもこんな場所でする事が無い為たとえ持っていなくとも困った事は無い。
部屋の中には必ずある。
その部屋はここから僅か三ブロック先だ。
だが、一旦中断してそこへ向かう気にはとてもなれなかった。
「中で出さない、ってのでど?」
「信用出来るか」
「見くびんないでくれる?ってかアンタ誘っておいて持ってないのかよ」
「俺がいつ誘った」
「誘っただろうが、甘い匂いで」
「これがか?そう思うのはてめぇだけだ」
行為は唐突に始まった。
視線を上げた三蔵の唇に喰らいついた。
それは口付けだとかキスなどと呼べるような優しい響きは微塵も無かったと思う。
同時にジーンズのファスナーを下げ手を入れた。
三蔵も抵抗しないばかりか同じようにしてきたのだった。
応える唇も隙を見せたら最後、逆に自分が喰われそうだった。
元々人通りが少ない上こんな狭い暗がりに人がいる事など誰も気付かないだろう。
ありえない。
誘い文句も駆け引きも一切無し。
常ならば行為そのものよりもそれらを楽しんでいたと言ってもいい。
次々と突き上げる衝動は一体何を求めているのだろう。
悟浄の頭に様々な答えが浮かんでは消えていった。
「で、どうする気だ?」
「どうもこうも出来ないモンは出来ねぇだろ」
「にしちゃこの手は何だ?」
「アンタもな」
どちらも互いから手を離していない。
それどころかより一層強さは増していた。
「てめぇが離したら俺も離してやるよ」
「気が合うねぇ、オレも同じ事言おうと思ってたとこ」
互いに口と手を動かし続けた。
三蔵が頭を振ると髪が揺れ鼻先を火薬の匂いがくすぐる。
珍しい事では無かった。
この街の住人は大なり小なり何かしら後ろ暗い事に手を染めている。
でなければ生きてゆけないのだ。
ゴミ溜めのような街に住む人間に綺麗な仕事を頼む者などいない。
悟浄とて同じだった。
拳も尻ポケットに常備しているナイフも数え切れない人数の血に塗れている。
洗い流し目には見えなくなったとしてもそれは決して落ちない。
三蔵が何をしてきたのかはどうでもいい。
重要なのは。
限界に近付いていた。
恐らく三蔵も同じだろう。
時折息を詰め浅く吸っては吐くを繰り返している。
どの道ここで止める事はもう出来ない。
悟浄は動かす手の速度を上げた。
同じく三蔵も速めてくる。
大きく吸ったところで天を仰いだ。
三蔵のを握っていた掌にも確かな感触が伝わってきた。
ゆっくりと閉じた目を開けると黒く細い空があった。
視線を下ろすと三蔵と目が合った。
不敵に笑んだかと思うとシャツの裾をぐいと引っ張られた。
あろうことか手やら服やらを拭っている。
それでも綺麗になった訳では無いだろうがとりあえずは凌げる。
拭い終えるとさっさと身支度をし「じゃあな」と立ち去っていった。
「・・・つかコレは無くねぇ?」
呟いた独り言は当然三蔵に聞こえた筈も無く虚しく自分に返ってきた。
悟浄はべたついたシャツを脱ぎ自分も同じく拭いその場に捨てた。
肌寒さは感じるが自宅まで僅かだ。
耐えられないほどでは無い。
嗅ぎ取ったのはきっと硝煙の匂いでは無かったのだ。
歩き出した悟浄は再び空を見上げた。
何も見えず、ただ黒い。
一筋の光も、音さえも存在しないかのようだ。
もはや地上では落ちるところまで落ちた。
これ以上は落ちようが無い。
そんな自分も三蔵も辿り着くのであろう場所に悟浄には見えた。
最期に。
“ソラ”へと堕ちる。
fin
*
「Solitude」と同設定の二人です。