まだ来ぬその時に
宿を取った街で一匹の犬を見た。
野犬に襲われでもしたのか身体中傷だらけで立っているのもやっとの癖に歩くのを止めなかった。
どこへ行くつもりなのか擦れ違う人間の視線にも声にも何の反応も示さず、ただひたすらに前だけを見、歩き続けていた。
その眼差しはずたぼろの身体とは違い強かった。
悟浄は跡をつけることにした。
犬の歩みはゆっくりとしたもので一、二歩進んでは倒れぬよう四本の脚に力を入れ踏ん張り、また前に踏み出すという感じだった。
倒れたら二度と起き上がれぬことは犬自身が一番分かっているようだった。
そうまでして行かなければならないのはどこなのか。
やがて街外れの一軒に辿り着いた。
犬は一声鳴いた。
小さく弱々しい鳴き声だったが家の中に届いたらしく、勢い良く戸が開いた。
小さな女の子が一人。
飛び出してきたかと思うと犬を抱き締めた。
犬はそこでようやく震えながら踏ん張っていた脚の力を抜いた。
そして女の子の腕を一舐めし力尽きた。
悟浄は張り裂けんばかりに泣き叫ぶ女の子とそれを宥める母親の声を後に宿へと戻った。
一人、部屋の中で悟浄は考えた。
あの犬は何故ああまでして女の子のところへ帰ったのだろう。
痛みは激しいものだったに違いないのに。
最期に女の子の姿を見る為か。
それとも自分の最期を女の子に見せる為か。
もし前者ならきっとどんな痛みに耐えてでも最期に見れたなら満足だったろう。
後者なら・・・・・。
悟浄は以前三蔵に言った言葉を思い出した。
―――――死ぬ時は俺の目の前でな―――――
あの犬のように脚を引き摺り何度も倒れそうになりながらも歩く三蔵の姿を思い浮かべた。
それでも自分はそれを望むのか。
「悟浄ー!メシ!置いてくぞー!!」
悟空の声によって悟浄の思考は中断された。
廊下に出るともう悟空の姿は無く「メシ!メシ!」という言葉だけが響いていた。
晩飯はそこそこ美味く悟空はいつものように皿まで食う勢いで平らげていった。
悟浄は頭の片隅に燻り続ける問いを考えないように悟空と張り合いながら食べた。
「三蔵、ビールばかりじゃなく少しは食べて下さい」
八戒が白いのか黒いのか判断の付きづらい笑顔で言うも、三蔵はにべもなく
「いらねぇ」
と素っ気無かった。
悟空も「食える時に食っとかねぇと体保たねーンだかンな!」と八戒に加勢したが、やはり、
「食いたくねぇモンは食いたくねぇ」
と煙草を肴にビールを飲み続けた。
くっくっくっ、と悟浄の笑いが漏れた。
「気持ち悪ィ!悟浄、思い出し笑いかよ!思い出し笑いするヤツはエロいんだぞ!」
「悟空、それ今更言うんですか?」
三蔵に至っては蔑んだ冷たい視線を寄越しただけだった。
この三蔵が自分のしたくない事をする筈がない。
誰が土下座しようと、泣いて懇願しようと、脅そうと、したくない事はしないだろう。
だから三蔵に言うのだ。
―――死ぬ時は俺の目の前でな―――
聞き入れるか無視するかは三蔵が決めればいい。
自分は言い続けるだけだ。
悟浄は何本目だか知らない煙草を咥えた三蔵に、
「アンタらしくてイイんじゃない?」
と火を差し出してやった。
三蔵は胡散臭げにちら、と悟浄を見遣った後黙ってその火を貰った。
「死ぬ時は俺の目の前でな」
詰め込み過ぎてむせる悟空の背中を八戒が叩いている。
その隙に悟浄が三蔵に耳打ちする。
三蔵は鼻を鳴らした。
「人を勝手に殺すな、・・・・・・・・・・・・・だが、もしもその時にはてめぇが来い」
「・・そうきたか。それもアンタらしいな」
薄く笑う悟浄に三蔵は付け足した。
「その時にてめぇが生きてたら、の話だがな。せいぜい死なねぇようにするんだな」