| あちこちから歓声や落胆の声が上がる人混みの中、悟空の目は羅列された数字を追い続けている。目的の番号に近付いたと思ったら、横や後ろから押され見失いまた見直しする。その連続で一向に見つけられずにいた。否、正確には見つけられないと言うよりも、目的の番号が無いのを見るのが怖いが為に目を離したのかも知れない。だが、いつもでもこうして探し続ける訳にもいかず、またその瞬間は必ず訪れるもので、悟空は意を決し目の前の数字を見据えた。 やがて悟空は目的の番号を見つけた。手の中にある紙と何度も見比べる。間違い無く同じ番号だった。 「ぃ・・やったーッ!」 悟空は両手を天に向かって高く突き上げた。 ***** 春と呼ぶにはまだ早い薄ら寒い日である。悟空は人気の無い場所を歩いていた。半分融けた雪が、一歩踏むごとに靴の下で湿った音を立てる。ずらりと並ぶ大小の石は、いつ訪れるとも知れぬ人間を待っているかのようにひっそりとしていた。 びしゃびしゃとした足音を立てて歩く悟空の手には花束、そしてポケットには自分では吸わない煙草が一箱入っている。目指す場所は奥の奥、入り口から一番遠いところにあった。少し歩いては何度か曲がり、辿り着いた石の前に悟空は花束と煙草を置いた。 「受かったよ、一年待たせちゃったけど。受かってから言おうと思ってた。・・・ありがとう」 医師になる。そう決断してからの悟空はがむしゃらに勉強した。それこそ寝る間も惜しんでと言っていい。だが現実は厳しく、悟空の医大それも国公立の現役合格は夢と消えた。その時悟空は、諦めるか再度挑戦するかで悩んだ。挑戦したいのはやまやまだったが、経済的状況を考えるとすんなりと答えは出ない。そんな悟空の心境を察し、悟空の母が三蔵からの学資援助を打ち明けたのだった。 『言わない約束だったんだけどね。まったくあんたが変に気回すから、かあさん約束破っちゃったじゃないの』 『・・・三蔵が?』 『そうよ。だからお金の事は心配しないで、あんたのやりたいようにやりなさい』 一年後、悟空は見事合格を果たした。悟空の性格からいって、三蔵からの学資援助が良い意味でプレッシャーとなったに違いない。もちろん合格がゴールでは無く、スタート地点に立っただけであり、これからが本番である事は重々承知している。だが、束の間の歓びに浸るぐらいは許されていいだろう。 御礼と報告を兼ねて三蔵の墓を訪れた悟空は、その歓びを深く噛み締めていた。 「それから三蔵。・・・・・ごめん」 暫し無言で墓を見詰めていた悟空が言葉を発した。悟空が三蔵に伝えたい事は、実はもう一つあった。それは三蔵が望まないであろう事は分かっている。では何の為に、と問われれば答えに窮する。自分自身の好奇心も無いとは言わない。だが、それだけでは無かった。 「探すよ。そして会いに行く」 悟空はポケットに煙草と一緒に入れてきた一枚の紙切れを出した。それは屑箱から拾い上げたかのように皺くちゃの伝票だったが、三蔵がずっと持ち続けていたものであった。書き損じが明らかな表と、どう見ても単なるメモにしか見えない裏を何度も見返し、何故こんなものを欲しがるのかと遺産管理人である弁護士は訝りながらも最終的には悟空に渡してくれた。 三蔵は一度も口にしなかった。だが、この紙切れを手元に置き続けていた事から、三蔵が経験した出来事、ひいては“沙悟浄”という男の事をどれだけ大切にしていたかが窺い知れた。悟空は不思議極まる話を聞き、そしてこれを三蔵が時折見ていた理由に思い当たった時からずっと会いたいと密かに思っていた。そう思う一方で、三蔵が望まない事を思えば決めあぐねてもいた。探す探さない、いずれにしろやるべき事をやってからと結論は一旦棚上げにし、悟空はこの紙切れをしまっておいたのである。 本当の事を言えば、今日ここに来るまでまだ迷いはあった。誰にとっても良い結果に繋がるとは言い切れない。“沙悟浄”という男が三蔵の事などすっかり忘れている、もしくは何の感情も抱いていなかったという事だって有り得る。 迷いながら三蔵の墓前に立った時、悟空の気持ちは自然と固まった。 会いたい。 伝えたい。 どんな結果に終わろうとも三蔵の事を伝えたいと悟空はそう思ったのだった。 ***** 『当社にはその名前のものは居りませんが』 謝罪して悟空は電話を切った。これで何社目だろう。覚悟はしていたものの悟空は大きく溜息を吐いた。薄く開けた窓からそよぐ初夏の爽やかな風が何とも恨めしい気分にさせる。探すと決めたはいいが、手掛りは非常に少なく、名前と伝票に書かれた会社名だけであった。しかもその会社名は印刷されたものでは無く、市販の伝票に手書きの恐ろしく読みづらい字で書かれてあり、尚且つ上から塗り潰されていた。正式な伝票というより、下請けが仮伝票として渡す為のようなものなのだろう。遠目で眺めたり、近くに寄せて見たりと、目を凝らし何とか読めた文字から悟空は電話帳で該当する会社を調べてしらみつぶしに電話をかけていた。せめてもう少し特徴のある文字だったら良かったのに、と思わずにはいられなかった。何しろ読めた文字は“中”と“運”だけだったのである。“運”は“運送”“運輸”と色々あるが、運送会社の殆どで使われており、特定の会社を探すのには全くもって役に立たなかった。“中”にしてもありふれた漢字で、これまたよく使われていた。この作業に割ける時間も限られている。本分である勉強を疎かにする訳にはいかない。今日は次の一軒で終わりにしよう、と悟空は再びボタンを押した。 『今ここにはいないけど、どちらさま?』 沙悟浄さんお願いします、と電話口に出た相手に、半ば機械的に告げた悟空の耳に意外な返事が聞こえた。正直、またダメだろう、と思っていたのだ。心臓が大きく跳ねるのを感じながら悟空は「いえ、またかけ直します!」と急いで電話を切った。住所や連絡先など訊いても教えて貰えるはずなど無く、元から勤務先だけ突き止める予定であった。 ***** まさに夏真っ盛りといった様子で、誇らしげに太陽が輝いている。悟空はその太陽が自分の背中を押しているように感じていた。ともすれば臆しそうになる事をしようと思う日には曇りより晴れの方がいい。 そう時間はかからないだろうという悟空の予想は見事に外れ、悟浄の住所が分かったのはつい最近のことである。勤務先が判明してから三ヶ月近く経っていた。悟空が取った終業時刻を見計らい近くで張り込むという地道なやり方は、悟浄のような不規則な勤務にはあまり有効的な方法ではなかったし、また悟空も毎日来れた訳でもなかったからだ。だが、これ以外思いつかなかったのである。それでも何度かは帰宅する悟浄を確認出来た。住所が分からなかったのは、悟浄は車、悟空は自転車というハンデの為に途中で見失ってしまうからだった。諦めて仕事帰りの悟浄に話し掛けようかと思わないでも無かったが、酷く疲れた様子の悟浄に悟空は声を掛けるのが憚られた。そんな状況で話せる内容では無いとも思った。何度目かの追跡で漸く自宅まで追えたのは、ことごとく赤信号に引っかかったというまぐれのような出来事の所為であった。 休日に訪ねたいと何度か来てみたが、勤務時間同様休日も不規則らしくいつ来ても車があった試しがない。それが今日はあったのだ。午前中にインターフォンを押したが、返事は無かった。中々にハードな仕事らしいから寝ているかも知れないと出直す事に決め、悟空は近くの公園で時間を潰した。午後になって改めて来ても、まだ車はあった。 今度こそ。 悟空は暑さの所為だけではない汗が滲む手をインターフォンに伸ばした。 |