月に浴(あ)たる
珍しい夜だった。
三蔵と悟浄が同室というのも珍しければ、早寝の三蔵がこの時刻に起きている事も珍しかった。
もっと珍しいのは、この二人が静かに酒を飲んでいる事だろう。
酒場にでも行こうかと廊下を歩いていた悟浄が宿の小母さんから「美味い酒だよ、少しだけどお裾分け」と貰った酒だった。
四人で、とも考えたが酒の味の判らぬ悟空や飲んでも酔わない八戒では少々つまらない気がして、
結局悟浄は同室の三蔵と二人で飲むことにした。
最初は胡散臭げに見ていた三蔵だったが、一口飲んで気に入ったようだ。
三蔵のグラスが空になった。
悟浄が咥え煙草で酒を注ぎ足す。
「すっかり下僕が板についてきたな」
「誰かさんがモノグサなんでね。ま、そういうヤツはボケるの早いって言うからな」
静かにと言っても流石にこの二人が『和やかに』と云う訳では無い。
ただ手・足が出ないだけで皮肉の応酬はいつもと変わらない。
向かい合って飲む仲でも無く、三蔵はベッドに背を預け、悟浄はその左側で床に座っていた。
時折、悪態をつくだけで後は互いに黙ったままグラスを傾けた。
緩やかな流れが心地良かった。
溢れそうな吸殻の山を崩さずに悟浄が吸い終えた煙草をその上で揉み消した。
すぐに次のを咥える。
三蔵が隣から火の点いたライターを出した。
「珍しー。どういう風の吹き回しよ」
舌打ちし引っ込めようとした腕を押さえ、
「イエイエ、有難く頂戴しますって」
悟浄の煙草に火が灯る。
三蔵も吸い終えた煙草を同じく吸殻の山の上で消したが、こちらは周りに灰が飛び散った。
明日八戒に怒られるな、と悟浄は何となく思った。
三蔵との出逢いは最悪だった。
自慢出来る事が何一つ無い人生の中で喧嘩だけは数多くこなしてきた。
実際に殴り合うまでには結構な駆け引きがある。
言葉で挑発し、態度で煽り、相手の値踏みをする。
そうしてキレるか、相手より自分は強いと判断した時に掴みかかる。
と言っても、自分自身は相手がどんな奴であろうとお構い無しであったが。
来る者拒まず。
売られた喧嘩は高価買取。
だが三蔵はそんな駆け引きなど一切無視し、『己の邪魔をする奴は叩きのめす』しか無かった。
今もその信条は変わってないだろう。
「おい」
考え事をしていた悟浄の灰が今にも落ちそうになっていた。
慌てて灰皿まで運んだが、時遅し、届く前に崩れ落ちた。
やっぱり怒られるのは俺だな、と悟浄は確信し苦笑した。
「似合わねぇ事してるからだ」
「似合わねぇって・・。イイ男は何しても似合うンだよ」
「誰がイイ男だ」
「アンタの目の前にいる男に決まってンだろ」
「寝言は寝て言え」
緩やかな流れに時折湧き起こる波紋さえ心地良かった。
悟浄が煙草を消し、グラスの中身を飲み干し床に置いた。
三蔵がグラスを置いたのも同時だった。
重なった二つの音に二人の瞳が合った。
自分の意志とは無関係に悟浄の身体は動いていた。
肩一つ抱く事もせず、互いに触れているのは唇だけだった。
短くも長くも無く、軽くも深くも無く合わさった唇が、触れた時と同様ゆっくりと離れ、二人の瞳が開いた。
「・・・・・・・何で・・・・・・・・・・・・・・」
「したのはてめぇだが?」
「・・そりゃ、そうだけどよ・・・・・・・・・・・・・」
「・・・いいんじゃねぇか?」
「・・・・・・だな・・・・」
どちらとも無く煙草を咥え、互いに自分の分に火を点けた。
悟浄が先に口を開く。
「明日は雨だな」
「雷も鳴るな」
「雪が降るかも知ンねぇな」
「吹雪だろ」
三蔵が二つのグラスに残った酒を注いだ。
塞き止められていた流れが、また緩やかに流れ始める。
その流れの中で、
悟浄は揺るぎない一つの想いを自覚した。
もう引き返す事は出来ないところまで浸かっている。
月の綺麗な夜だった。