――――――――――「三蔵!!!」
悟空の悲鳴にも似た叫びで振り返った悟浄の顔が焼き付いて離れない――――――――――
自分の身体に無数の傷跡があることを三蔵は知っている。
薄く小さなものから濃く大きなものまで、
付いた経緯を覚えているものなど殆ど無いが跡として残っていることは知っている。
好んで付けた傷跡では無いし、そんな趣味も無い。
それでもこの痛みを受け入れているのは固く瞑った瞼にあの時の悟浄の顔が浮かんでくるからに他ならない。
尽きることなく
―――少しでも労わる素振りなど見せやがったら、即刻蹴り飛ばしてやる―――
そんな三蔵の考えは杞憂に終わった。
労わるどころか、逆に『少しは加減しろ』と張り倒してやりたくなるほど遠慮が無かった。
衣服は破れ血まみれの四人を見て慄く主人に三仏神のカードに物言わせ、強引に部屋を取ったのは夜も更けた頃だった。
八戒の体力の消耗も酷かった為気孔は使わせず、それぞれ風呂でこびりついた血と泥を洗い流し簡単に手当てをすることにした。
先に風呂に入った三蔵が包帯を巻こうとしていたところへ悟浄が風呂から出て来た。
思ったほど傷は深くなく今のところ出血は止まっている。
悟空の叫びは大袈裟過ぎたのだ。
その叫びで一瞬隙が出来た悟浄が受けた傷の方が余程深かった。
三蔵の持っていた包帯を悟浄は黙って取り上げ巻き始めた。
自分は上半身裸のまま真新しい傷から血を滲ませた姿だった。
三蔵は、何も言わず黙々と巻く悟浄の好きにさせておいた。
その間にも悟浄の脇腹の傷からは鮮血が雫となって垂れていく。
巻き終えて上体を起こした悟浄の肩に掛かっていたタオルを掴み三蔵は悟浄の傷口に宛がった。
白地に赤が映えていた。
繰り返し宛がう手首を掴まれ顔を上げた三蔵の目に映った顔はあの時と同じものだった。
そのまま押し倒され、噛み付くように押し付けられた唇から三蔵は悟浄の声にならない叫びを聴いた気がした。
「・・・逃げねぇ・・から、・・・・・手を・・・・離せ・・・・・・・・・・」
指の跡が残りそうな程きつく掴まれた手首が痛かった。
その言葉に疑うような目で悟浄が見据える。
「逃げねぇよ。俺は此処にいる」
真っ直ぐ見返すとようやく悟浄が手を離した。
自由になった手を項に添えると再び悟浄の顔が近付いてきた。
ぎりぎりまで視線を合わせ、そして目を閉じた。
器用に身体中を這い回る悟浄の掌と唇に三蔵は快感なのか不快感なのか分からないものを感じた。
思い出したように合わせられる唇から鉄に似た味がして、悟浄の腹にも包帯を巻いておけば良かった、などと思ったりもした。
もっともそんな余裕があったのも最初の内だけで悟浄によって三蔵は全てがどうでも良くなっていった。
まだ痛んでいる筈の互いの傷も、血の生臭さも。
『ッ!!』
朦朧としていた意識がはっきりと戻ってきたのは新たに与えられた痛みのせいだった。
時間を掛け悟浄が馴らしてはいたが、それでもその衝撃は予想をはるかに上回った。
悪態を付く前に出てしまいそうな悲鳴を押し殺す為に三蔵は唇を噛み締め、
指先が白くなるほどシーツを掴んだが無駄だった。
手繰り寄せ何重にもしたシーツでさえ薄っぺらで心許ない。
労わりなど望んではいなかったが、『一度抜く』という選択肢すら頭にないような悟浄を何度跳ね除けようと思ったか知れない。
その度にあの時の悟浄の顔が浮かんできて三蔵の手はシーツから離れることが無かった。
結局一度も抜く事無く、悟浄は全てを収めきった。
玉のような汗をかいているのに二人の身体は小刻みに震えていた。
衝撃が落ち着き力の抜けた三蔵が目を開けた。
固く瞑っていた為にぼやけて見えた悟浄の顔が、繰り返し瞬きをする内にくっきりと見えてくる。
痺れた手をシーツからようやく離すと今度は悟浄の手がするりと掌に絡みついてきた。
骨が軋む音まで聞こえそうな程強く握られた。
痺れていたのが幸いし痛みは感じなかったが、握り返すことも出来なかった。
そのまま顔の横に掌を縫い止められ肩口に顔を埋めた悟浄の呟きのような微かな声が耳に入る。
「・・・・・・・・・三蔵・・・」
三蔵は唯一自由が利く唇を動かした。
「・・・・悟浄・・・・・」
三蔵も掠れた微かな声しか出なかった。
その声に悟浄が肘を立て身体を起こした。
何事か紡ごうとするその唇を三蔵が軽く首を横に振り制する。
悟浄が紡ごうとした言葉が何なのかは分からないが、今は何も要らなかった。
一旦開きかけた唇を三蔵の仕草で悟浄は閉じ、薄く微笑いながら頷きゆっくりと動き出した。
落ち着いてきたところへの刺激に改めて繋がっていることを三蔵は実感した。
目を瞑ってももうあの時の悟浄の顔は浮かばなかった。
替わりに浮かんできたのは真っ暗な闇と遠くに見える光のようなものだった。
徐々に速度を増す悟浄の動きと共に光も近付く。
その光が弾け闇が覆い尽くされた瞬間、三蔵は体内に温かいものを感じた。
悟浄の腕が緩み倒れ込んできた。
耳元で荒い悟浄の息遣いが、重ねられた胸で脈打つ心臓の音が聴こえる。
それに劣らぬ大きさで三蔵が放つ音も悟浄に届いていた。
「・・・何か・・・・・色々と・・・・・・・・・・スゲーよ・・・・・」
身体を離した悟浄の言葉に三蔵は視線をずらした。
眩暈がした。
悟浄の言う『色々』が具体的に何を指すかはともかく、ずらした視線の先は確かに凄かった。
一面血の海だった。
包帯が外れ再び開いた三蔵の傷口からの出血と、
最初から止まっていなかった悟浄のとで互いの身体は勿論、シーツも全て真っ赤に染まっていた。
悟浄が腰を引き抜け出る感触に身を捩ると濡れたシーツが肌に冷たく三蔵は眉を顰めた。
「いくら何でもこのままじゃ寝れねーな。先風呂行く?」
三蔵は首を振り視線で、先に入れ、と合図した。
回復までもう少し時間が欲しかったのと、
身体を動かさなければならないのなら口ぐらいは動かしたくない、という三蔵独特の理由からだった。
「じゃ先に入るわ」と悟浄が浴室に入りシャワーの音が聞こえてくると、三蔵は何とか起き上がり壁に寄りかかった。
身体中が痛む。
それでも不思議と嫌な感じはしなかった。
痛みを堪え煙草に手を伸ばし火を点けると大きく吸った。
美味かった。
ゆっくりと一本吸ったがシャワーの音はまだ続いている。
目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうで何本か吸い続けた。
やっと悟浄が出て来た。
出血の量ははるかに多い筈なのにふらつく事も無くしっかりした足取りだった。
入れ替わりシャワーを浴びる。
乾いて黒みを帯びた血とまだ色鮮やかな血と、それ以外の粘液を洗い流すのに時間がかかった。
出た頃には悟浄は既に自分の傷に包帯を巻き終えもう一つのベッドに腰掛け缶ビールを飲んでいた。
「結構な量出ちまったから補給してンの」
ビールで補給出来る訳ねぇだろ、と思いながらも三蔵は悟浄の前に立ち、それを奪い取り飲み始めた。
悟浄は苦笑しながらその間に三蔵にも包帯を巻いた。
巻き終えたのを見て三蔵はテーブルまで空缶を置きに行った。
振り返ると悟浄が立っていた。
一歩近付くと悟浄が軽く両腕を拡げた。
その顔にはあの時の面影は微塵も無かった。
もう一歩近付くと身体に腕が廻った。
胸から斜めに受けた三蔵の傷を思ってか緩い抱き方だった。
今更の態度に三蔵は気付かれぬ様笑みを洩らし悟浄の背中に腕を廻した。
「狭い」
「仕方ねぇだろ」
一人用ベッドに男が二人。
寝返りすら打てない。
それでも疲れきった二人を睡魔が襲う。
泥のように眠る二人の耳に互いの規則正しい呼吸音は届き続けた。