三蔵が遠ざかってゆく。

振り返りもせずに。

追おうとする脚はその場に根が張ったかのように動かない。

呼び止めようとする声は喉の奥に張り付いたまま出てこない。

ただ背を見詰めるだけしか出来なかった。

一歩一歩三蔵が遠ざかってゆく。

ゆっくりと、だが確実に。

漸く絞り出した名前は余りにも小さく、もはや三蔵には届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                      揺らぐ現に

 

 

 

 

 

 

 

 

目覚めた悟浄の耳に早打つ自分の心臓の音が聴こえた。

額に浮かんだ汗が低い室温で急速に冷えて身震いが出る。

強張った全身の力を意識して抜いた。

冷えた汗をぬぐった腕をそのまま額に乗せ鼓動が静まるのを待つ。

闇に目が慣れ天井の模様も捉えられるようになった頃大きく息を吐いた。

 

 

隣の部屋がある壁に目をやる。

ふらふらと起き上がりテーブルの上の物を掴みベッドとは反対のその壁に背をもたれ座り込む。

乾ききった口内に飲み残したぬるい缶ビールを流し込めばその不味さに吐き気がした。

口直しに煙草を吸う。

床と壁の冷たさが素足の足裏と何も着ていない背から伝わってくる。

寒さは感じるものの動く気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見る。

幾度となく繰り返し見る夢は状況は違えどどれもこれも似たり寄ったりだった。

離れてゆく三蔵。

そして取り残される自分。

 

 

 

 

 

 

 

美味いとも思えずに惰性で吸った煙草の吸殻を悟浄は缶の中に落とした。

ジュッと一瞬音がした後には静かな闇だけが残された。

両手を軽く握ってみたが先刻まで触れていた筈の感触は思い出せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

あれも夢だったのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何もかも夢なのかも知れないと思った。

先刻も、こうして座り込んでいる今さえも、何もかも。

その証拠に静寂に耐えられずに壁に打ち続けている後頭部にも痛みは感じない。

 

 

 

 

 

壁の向こうで物音がし、続いて二度扉を開ける音がした。

 

 

 

 

 

「よっぽど俺を寝かせたくないと見えるな」

 

 

 

法衣を羽織った三蔵が開けた扉の前に立っていた。

夢だとしたらかなり良く出来ている。

本物そっくりの怒りに満ちた重低音をものともせず悟浄は声を掛けた。

 

 

「おー、グッドタイミング。ちょ、こっち来て」

 

 

てめぇが来い、と言いつつ寄ってきた三蔵の腕を取り座らせおもむろにその頬をつねった。

 

 

 

 

 

「本気で死にたいって事だな?」

 

 

こめかみに銃口が当たっていた。

声が震えているのは怒りの為か。

それにしても相変わらずの素早さに感心する。

 

 

「・・・オレの部屋に来るのにまで持って来なくていいんじゃね?」

 

「てめぇの部屋だからこそじゃねぇか」

 

「・・・やっぱ痛かった?」

 

「打ち過ぎてとうとう本格的にイカレたか」

 

「イカレてんのはアンタによ?」

 

 

冷ややかな視線と共に「付き合いきれねぇ」と呆れかえった三蔵が銃を下ろした。

頂点に達しそうだった怒りもそれと同時に下がったようだ。

 

 

「ま、ま、何にもねぇけど、ど?一本」

 

 

強引に一本咥えさせ火を点けたジッポを近付けた。

灯りでぼうっと三蔵の姿が浮かび上がる。

視線を捉えたのはアンダーを着ていない三蔵の鎖骨の下にある紅い痕。

 

 

 

 

 

 

「吸わせてぇのか、吸わせたくねぇのか、どっちなんだ?」

 

 

 

 

待てど煙草の先まで来ない火に三蔵が苛ついた声を出した。

 

 

「つか、吸いたいかも」

 

 

悟浄はその痕に唇を寄せようとした。が、叶わなかった。

唇の横に物凄い痛みを感じる。

危うく落としそうになった火の点いたジッポの蓋を慌てて閉めた。

 

 

「ふざけた真似しようとしてんのはこの口か?ああ?」

 

 

自分がつねったのより数倍の力で引っ張られている。

 

 

 

 

 

 

 

「・・・何が可笑しい?」

 

「いや、痛ぇなーって思ってよ」

 

 

手を離した三蔵の顔が得体の知れない物を見るような目付きに変わった。

痛いと言いながら薄笑いを浮かべる自分は相当気味が悪いに違いない。

 

 

 

何の前触れも無く目の前の三蔵を抱き寄せた。

いきなり冷えた身体を押し付けられた三蔵が暴れたがそれでも悟浄は離さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

夢でも幻でも無く、此処にいる。

この腕の中に。

 

 

 

 

 

 

 

これから先もあの夢は見続けるだろう。

そして夢と現実の境界線を彷徨うだろう。

だがその後にこうして感じられる温もりがあればいい。

此処だと導く温もりがあればいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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