水平線の亡霊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   打ち寄せる波の音が果てしなく続く。

   その音を聞きながら、悟浄は煙草を取り出した。

   風上に背を向け右手でライターを囲い火を点ける。

   吐き出した煙が驚く速さで流れてゆく。

   煙草の先に付かぬよう長い髪を後ろで纏めた。

   

   道路からちょっとした急斜面を降りてこなければならないこの浜辺に来るような物好きはそうそういない。

   しかも時刻は深夜だ。

   空と海の境目も見えない夜の海に悟浄は来る。

   昼間の海には来ない。

   特に天気のいい日は視線の端にも入れない。

   海沿いの街にいてそれはかなり難しいことだが今のところ上手くやっていると思う。

   風のせいで大して吸ってもいない煙草がもう短い。

   悟浄は二本目に火を点けた。

 

 

   

 

 

   「おう、兄ちゃん。今日も酔っ払ってねぇな?」

 

 

  

 

   

   偶にここで会う近くに住む元漁師のじいさんだった。

   夜中に目が覚めた時は浜まで来るのだそうだ。

   このじいさんに以前悟浄は助けられたことがある。

   したたか飲んでふらつく足でこの浜に来、暗闇の向こうに在る筈の無いものを視た夜だった。

   悟浄は吸い込まれるように海に入って行った。

   膝下辺りまで浸かったところで偶々来たじいさんが気付き、怒鳴られた。

   我に返った悟浄は、酔っ払ってただけで死にたいわけじゃない、と説明した。

   それ以来、会うと必ず確かめられる。

 

 

   「ああ、飲んでっけど酔っちゃあいねぇよ」

 

 

   じいさんは「よし」と言い残し帰って行った。

   悟浄は視線をまた海に戻した。

 

 

 

   

 

   今となっては原因も覚えていない。

   それぐらい些細な事だったのだろう。

   いつものように喧嘩をした。

   ただそれだけの筈だった。

   だが、その後何度か掛けた電話が圏外や何やらで繋がらなかった。

   向こうからの電話も無かった。

   そもそも普段でも殆ど無いのに喧嘩の後で掛けてくる筈が無い。

   自分から謝る、折れるなどしない奴だ。

   そうこうしている内にあっという間にひと月経った。

   もう何も出来なかった。

   聞かされるのが拒絶の言葉だとしたら、と不安だけが大きくなる。

   そんな時に長期出張を言い渡された。

   国内だが海を渡らなければ来られないこの地に三ヶ月。

   出発の日掛けた最後の電話も聞こえてきたのは、

   ――― 『お客様がおかけになった電話は――』 ―――

 

 

 

 

   

 

 

   物理的に離れ気分的に楽になった感じがしたのも最初だけで、悟浄はじわじわと痛みに侵されていた。

   止む気配は全く見えず、それどころか日増しに強くなる感すらある。

   確かめる勇気も無ければ諦める事も出来ず、こうして見えない海の向こうを見詰める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   昼間の海は見れない。

   空と海の境界線がくっきり見えるからだ。

   太陽が反射する海も見れない。

   金色に輝く水面が余計に痛みを増すからだ。

   夜の海だけが悟浄を慰める。

 

 

 

 

 

 

 

 

             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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