閉ボタンを押すのも億劫で、三蔵は時間がきて扉が閉まるのを待っていた。その扉が閉まる寸前、八戒が滑り込んだ。
「今からお昼ですか?」
「ああ」
昼をとっくに過ぎたエレベーター内には八戒と三蔵の二人しかいない。
「今朝は取り乱してしまってすみませんでした。冷静に考えたら遺体が見つかった訳じゃないし、本当のところはまだわからないですよね」
奥に立った三蔵からは、階数ボタンの前に立っている八戒の表情は見えなかった。八戒の言っていることはもっともである。もっともではあるが、それならばと三蔵は訊いてみたかった。
何故帰ってこない。何故連絡がない。
だが、それらの問いは口には出さなかった。八戒も答えられないことはわかっている。
「それに―――」
と八戒が言ったところで、チンと鳴りエレベーターの扉が開いて財布だけを手に持った制服姿のOLが二人乗り込んできた。彼女らも昼休憩に遅れたらしい。その後二人の会話は途切れたまま、八戒は途中の階で降り、三蔵は何を食べるか相談するOLらと共に一階まで運ばれた。



『DVDは悟浄に貸してたんでした。ちょっと待っててください』
メールは八戒からだった。面白かったというDVDを貸してもらうことになっていたのだ。急ぐものでもなかったが、暇だった三蔵は開いた携帯からそのまま悟浄に電話した。大抵の場合において自分から行動を起こすことのない三蔵ではあるが、極々稀にこういうこともある。
「八戒のDVD持ってるか」
数回のコールで出た悟浄に三蔵は訊いた。
『へ?DVD?てか三蔵?』
「お前は誰からの着信か見ないのか」
『いや見たけどよ、そんでも普通はもうちょっとこう前置きみたいなのしねえ?』
「しねえな」
『あ、そ。でDVDね。持ってる持ってる。何?観たいの?』
「八戒がお前に貸してたのを忘れてたらしい」
『あ、じゃアンタんとこで観させて。借りたはいいけどオレんちのプレイヤー壊れちまってて観てねえのよ』
「今からどうだ」
『今から?まあ暇だし、んじゃ行くわ』
電話を切ってから半時間ほどで悟浄は三蔵の家に着いた。持参した八戒のDVDを出す。
「そういや、これってどんな話?」
訊かれて、三蔵はタイトルさえ八戒から聞いていないことに気付いた。悟浄も「観てみれば分かりますって」と言われただけで詳しいことは聞いていないと言う。ディスクを見てもタイトルらしき英単語はあるものの内容は分からず、ケースに至っては専用のものではなく透明のケースだった。八戒の言う通り観れば分かるだろうと、とりあえず二人は観始めた。
猛暑の夏は過ぎ、訪れるはずの秋は気配だけをちらつかせながら足踏みしている。朝方の冷え込みは間違いなく秋のそれだが、日中はおろか夜が更けてもまだ尚、湿気を帯びた熱を残す。この日も例外ではなく、蒸し暑さに窓を開けてはいたが、残念ながら風はまったく通らなかった。
観始めて間もなく「なあ、これってもしかしてホラー?」と画面から目を離さず悟浄が訊いた。
「もしかしなくてもホラーだろ」
ソファにいた三蔵は、その前に足を投げ出して座っている悟浄の後頭部に向かって答えた。
「だよな」
ホラー映画を面白いと表現するのが適切かどうかはともかく、その映画は確かに良く出来ていた。無駄に音響効果で驚かせるような演出もなく、じわじわと怖さや不気味さが滲んでくるように作られていた。とはいえ、霊感が強くしばしば霊を視ることがある三蔵には少しも怖くなく、途中でソファに仰向けに横になり、腹の上に灰皿や煙草を置いた気楽な格好で観ていた。
エンドロールが流れ始め、起き上がろうかと三蔵が腹の上の灰皿を下ろそうとした時、ライターが床に滑り落ちた。敷いてある絨毯でそれほどの音は出なかったが、それまで殆ど動かず画面を観ていた悟浄が飛び上がった。床から何センチかは確実に浮いただろう。直後にふわりとカーテンが揺れ、生温かい風が一瞬通った。それにも悟浄は異常な早さで反応した。
「何ビビってんだ」
「別にビビってなんかねえよ」
そう答えた悟浄の表情は引きつっている。
「そうか?俺の気のせいか」
「気のせい気のせい。大体、幽霊なんているわけねえし」
「いるぞ。現に何度も視てるしな」
「…マジで?」
「ああ。つい2、3日前も視たぞ。ちょうどお前が座ってるあたり―――」
「わああ、まて!わかったから!わかったからそれ以上言うな!」
「やっぱり怖えんじゃねえか」
「…ああそうだよ、悪いかよちくしょう」
ふてくされた様子でライターを放り、悟浄はふうっと音を出しながら煙を吐き出した。苦手ならばホラー映画など観なければいいではないか。三蔵の問いに悟浄は「カッコ悪ぃだろうがよ、デカい図体してお化けが怖えなんつったら」と半ば開き直ったように答えた。そして、煙草一本吸う間に昔一度だけ入ったというお化け屋敷の話を語った。遊園地によくある子供だましの類のものだ。今時子供でも怖がらないようなそのお化け屋敷で、悟浄はお決まりの仮装や細工に声も上げれぬほど怯えたのだという。
「で、一緒に行ったコに引かれたっつうわけだ。まあ、別にいいっちゃあいいんだけどよ」
悟浄は灰皿にぐりぐりと煙草を押し付けて消し、すぐに二本目に火を点けた。
「そんなことぐらいで引く女もどうかと思うがな」
慰めるつもりなどではなく、三蔵は思ったことを口にした。
「や、別にそれはホントどうでもいいのよ。顔も思い出せねえぐらいだし。あ、そういやそのコに限らず殆どが思い出せねえや」
先刻の風は単なる気まぐれだったらしく、あれ以降カーテンはぴたりと動かない。それでも開いた窓から入り込む外気の中には、冷たい細かな粒子が含まれ始めている。寒くはなかったが、半袖から伸びた剥き出しの二人の腕にはひやりとした夜気が触れていた。
「人を好きになるって、どんなんかねえ」
悟浄が天井に向かって吐き出した煙は、湿気を多分に含んだ空気に押さえられ、中途半端な高さで広がりもせず漂っている。悟浄の独り言のような呟きに、三蔵は同じように天井に向けて煙を吐いた。
教えられるはずもない。



自動ドアを抜けて三蔵は外に出た。晴れ渡った空に太陽が眩しく、道を歩く人々の楽しげな声と行き交う車の騒音はいつもと同じだった。人の波を避け、細い裏道を歩きながら、八戒との会話を思い出す。途中で切れた最後の言葉の続きは、返事に困るような内容のような気がした。
三蔵は引き返して会社に戻り始めた。朝飲んだコーヒーがまだ胃の底に残っているような感じがして、食べられそうになかった














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