休み明け、疲れの取れた身体にアラームが鳴るより前に目覚めさせられた三蔵は、いつもより早くに出社した。 会社に着いて、まず喫煙所に向かう。始業より1時間以上も前の今は誰もいなかった。
ゆっくりと煙草を吸う。まだしばらくは誰も来ないだろうと思っていたところにドアの開く音がし、顔を上げた三蔵の目に八戒が映った。
「随分早いですね、って僕もですけど」
三蔵に気付いた八戒は、自動販売機でコーヒーを買った後、そう言いながら喫煙テーブルへとやってきた。
「いつもこんなに早かったでしたっけ?」
「いや。今日は連休明けだ」
「なるほど。仕事が溜まってそうですね」
「うんざりするほどな」
挨拶代わりに仕事の話をした後は、特に話す事もなくお互い黙ったまま、八戒はコーヒーを飲み、三蔵は煙草を吸った。やがて、コーヒーを飲み終えた八戒が、
「初めて僕がここで貴方に声を掛けた時の事、覚えてます?」
と訊いた。
「どうして貴方の事が気になっていたのか、つい最近分かりました」
八戒が微笑んだ。
「貴方と悟浄、似てるんです」
そんな嫌そうな顔をしなくても、と八戒の微笑みが苦笑に変わる。
「似てるんですよ。器用そうに見えて実は不器用な悟浄と」
そこで一旦切り、
「不器用そうに見えて本当に不器用な貴方が」
と続けた。
ここは怒るべきところなのだろうか。怒るとしたら、不器用と言われた事に対してなのか、悟浄に似ていると言われた事に対してなのか。
どんな反応を返したらよいものか何も思い浮かばず、三蔵はただ黙って八戒の顔を見つめた。
やがて八戒は、それじゃあと出て行こうとしたが、思い出したように振り向く途中で、
「付いてますよ、ここ」
と自分の口端を指差した後、今度こそ本当に出て行った。
一人取り残された喫煙室に、自動販売機と吸煙機の唸る音だけが室内に響く。
途中で止まった八戒の眼鏡に反射した陽光が眩しく、目を細めていた三蔵が手の甲で口元を拭うと、白い粉がぱらぱらと落ちた。



「あれ?三蔵は?」
八戒に電話で誘われた悟浄が店に着くと、八戒だけがテーブルにいた。
平日とはいえ、忘年会シーズン真っ只中のこの時期、予約もなしに席が取れたのはタイミングよくキャンセルが出たためで、店内は数人から大人数のグループ客で満席だった。
「トラブルが起きたらしく、その処理でちょっと遅くなるそうです」
ふーんと悟浄がビールを飲み始めた途端「で、三蔵とは上手くいってるんですか?」と八戒が訊き、むせた悟浄が咳き込んだ。
「上手くいってるっつーか、うーんよく分かんね」
「色恋はお手の物のはずでは?何のための場数ですか」
「んなもんクソの役にも立ってねえよ」
歯の浮くような台詞に、こなれたスキンシップ、悟浄は臆面もなくそれらをやってのけた。それはある意味賞賛に値した。傍から見れば砂を吐きそうなものであっても、された当人にしたら満更でもないらしく、悟浄は付き合う相手に不自由した事がなかった。
だが、何度となく女連れの悟浄を見掛けた事がある八戒は、彼がどんなに笑っていても、楽しげに振る舞っていても、幸せそうに見えた事は一度もなかったのだった。
次々とテーブルから掛かる呼び声と料理運びに、店内を飛ぶように店員が駆け回っている。八戒と悟浄も適当に見繕って何品か料理を注文した。どうせ食べるのはそこそこで飲んでばかりになるだろう。
そこへ遅れていた三蔵が到着した。
「ちょうど三蔵の話をしてたんですよ」
座るなりポケットから煙草を出して咥え、更にごそごそとポケットを探っている三蔵に、八戒と話しつつ悟浄が火の点いたライターを横から出す。出す方も出された方も特に言葉はなく、互いを大して見もしない。
「いないところで何の話だよ」
「三蔵のどこが良かったのかなあと思って」
「どこって言われてもなあ。確かに顔は綺麗だけどよ…って痛っ!褒めてんだろうが」
テーブルががたんと揺れ、八戒はジョッキを慌てて押さえた。
「オレだってまさか野郎とこうなるとは思ってなかったけどな。でもまあ勃つもんは勃つし…って痛ってええ!!!」
またしてもテーブルが揺れ、八戒は転がり落ちそうになった箸をつかんだ。
「表現が露骨過ぎんだよ」
「オメーだって八戒に『寝てる』とか言ったくせに」
三蔵は届いたビールをぐびぐびと飲み、聞こえない振りをした。
「まあまあ。で、三蔵は?悟浄のどこが?」
一瞬虚を突かれた顔をした後、三蔵は少し首を傾げ思案し始めた。八戒と悟浄の二人はそんな三蔵を見つめ答えを待ったが、いくら待っても目の玉だけが右へ左へ上へと動くだけで口を開く様子がない。 痺れを切らした悟浄が「無いのかよ!」と言ったところで漸く、
「特に無えな」
と答えが返ってきた。
「考えた挙句、無えってか?!」
「てめえだって変わらんだろ。勃つか勃たないかが基準かよ」
「大事だろうが。勃たなきゃデキねえだろ」
痴話喧嘩と呼ぶには聞き苦しい言葉の応酬をしつつ、自分の煙草に火を点けた悟浄が、続けて煙草を咥えた三蔵にライターを手渡している。仲が良いのか悪いのか。
「それにしてもあれほど女好きだった悟浄がねえ」
「別に今でも女は好きよ?可愛いコも綺麗なコも」
「単に余計節操がなくなっただけじゃねえか」
「あ、でもいくら綺麗でも八戒相手には勃たねえわ」
「僕だって嫌ですよ。ていうか、姉の次が親友の男ってなったらとんだ性的嗜好の持ち主じゃないですか」
「…リアクションに困る事言うのヤメて?オレ達は清い関係のままでいよーな」
「てめえほど清いって言葉が似合わねえ奴はいねえな」
いつの間に頼んだのか、三蔵が黒蜜きなこアイスを食べている。悟浄が「デザートは最後に食うもんじゃねえのかよ」と言ったが、それに関しても三蔵は聞こえない振りをした。都合の悪い事、面倒な事は聞こえない振りをするのが三蔵である。
今日八戒が二人を誘ったのは、実は昨夜花喃と些細な事で喧嘩をしたせいだった。今朝は一応普段通りに言葉を交わしてきたが、何となく真っ直ぐ家に帰る気にはなれなかったのだった。
『そうやっていつも先回りして貴方が全部やってしまうから、いつまでたっても私は何も出来ないままなのよ』
昨夜花喃に言われた言葉を思い出す。
確かにその通りで、また八戒にはその自覚もあった。世話を焼くのは、相手の為というより、もしかしたら自分の為だったかも知れない。そう思い至り、軽い自己嫌悪に陥ってもいた。
だが、今目の前の二人を見ていると、そんな事で悩んだ自分が馬鹿らしく思えてきたのだった。花喃にしても深い意味で言ったものではないであろうし、例え彼女が一人で何でも出来たとして、それで自分から離れていく訳でもない。
仮面の笑みを貼り付けている八戒に気付く様子もなく、三蔵と悟浄は未だ中学生男子のような下ネタの話を続けている。幸いと言うべきか、周りは乾杯の掛け声やら一本締めだの三本締めだので騒々しく、二人の会話にもがたがたと揺れるテーブルの音にも、注意を向ける者はいなかった。
右手にジョッキを左手に箸を持ったままで、八戒は『帰って花喃に会いたいなあ』と思い始めていた。


「へえ、上手ですねえ」
隣の席の後輩が三蔵の手元を覗き込み、感嘆の声を上げた。その三蔵の手元には、折り鶴があった。使い終わった付箋紙の一番下の紙を見て、ふと思い立って三蔵が折ったものだ。
真似をして後輩も折り始めたが、それほど小さくもない7.5cm四方の紙に悪戦苦闘しつつ、やっと出来上がった鶴はバランスが悪く、傾いていた。
「器用そうな細くて長い指してますもんね」
後輩は自分の折った不恰好な鶴を、角が揃って折れ線も真っ直ぐな三蔵の折った鶴の隣に並べた。右の羽が机に着き頭が大きく前傾姿勢の鶴と、左右対称に広げられた羽に姿勢正しい鶴。
並べられた二つの鶴を見比べ、三蔵はひっそりと頬を緩めた後、パソコンのスクリーンセーバーを解除した。














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