| 悟浄がいなくなってから少しずつ何かが壊れていった。 最初はリビングに掛けてある時計。 いくら時間を合わせても翌日には少し遅れていた。電池が切れそうなのかと取り替えてみたが変わらなかった。買い替えるほどの必要性も感じず、結局そのままにしてある。今では1時間近く遅れている。 次はトイレの鍵だった。 つまみは回るが鍵がかからない。これも1人しかいない部屋ではまったく困らず放置している。 そして次にドライヤー。 弱くなったり強くなったり、しまいには冷風しか出なくなった。冷風でも乾かせないことはないが、電化製品ゆえ使い続けて何かあっても困る。結果、使わないことにした。タオルで拭いた後は自然乾燥でいい。 全て悟浄のせいだと三蔵は思った。理不尽だろうが構わない。理由も根拠もないがそう思わないとやっていられない。次々に壊れてゆく些細な物たちに責められているような気がしていた。 次は何が壊れるのだろう。 深夜に目を覚ました三蔵が横を見ると悟浄が寝ていた。昨夜一緒にベッドに入ったのだから当たり前といえば当たり前である。悟浄は仰向けで寝ていた。薄暗い部屋の中で横顔がかすかに見え、なんとはなしにそのまま眺めていると、 「もしかして見惚れてる?」 いつからか起きていたらしい悟浄が目を瞑ったまま言葉を発した。 三蔵が答えるより先に悟浄が目を開けた。 「目ぇ冴えた?」 ごそごそと体勢を変えながら悟浄が問いかける。確かに眠気は吹き飛んでいた。 「ちょっと飲まね?明日休みだしよ」 そう言いながら起き上がった悟浄に続いて三蔵もベッドを出た。 暗い廊下を通りリビングに入る。電気は点けずひっそりとした暗がりの中を進みソファ横のフロアスタンドを点けて腰掛けた。悟浄は「ビールって気分じゃねえな。何かあったか?」とキッチンへ向かう。暑くも寒くもなく、明るくも真っ暗でもない部屋の中で様々な物たちも眠っているかのようにしんと静まり返っていた。 やがてグラスを2つ持った悟浄が戻ってきて隣に座った。淡い光の元ではグラスの中身が何なのか分からず、手に取り一口飲んでみる。微かな甘さと飲んだ後に鼻から抜けるスモーキーな香りが今の気分に合っていた。 タバコに火を点けながら悟浄が先日昼食を食べに入った店のことを話し始めた。初めて入ったその店は驚くべき安さでたじろぐほどの量の料理を出す店だったらしい。知らずに入った悟浄がなんとか完食しかけた頃、店員がサービスだと言い小鉢に入ったポテトサラダを持ってきた。味は美味いが何しろ量が多すぎてすでに腹がはち切れそうになっていたものの、気の良さそうな店員が笑顔で出すその小鉢も3口で平らげたという。 「食いモンとおばちゃんの厚意は粗末に扱えねえからな」 今度悟空を連れて行こうぜ、と言った悟浄が隣を見たのと同じタイミングでちょうど三蔵も横を向いた。目が合った瞬間どちらからともなくキスをした。その先を感じさせない軽いキスは息をするのと変わらぬほど自然に交わされた。 酒をちびりちびりと飲み、タバコを吸い、合間に他愛ない話をぽつりぽつりとし、そして目が合えばキスをした。 何度目かのキスの後、悟浄がソファの背にもたれかかり顔を上げた。 「なんか今死んでもいいかもってカンジ」 上を向いたまま目を瞑っている悟浄の横顔を少しの間見ていた三蔵はおもむろに人差し指でその頬を強めに押した。いてッと身体を起こした悟浄と目が合い、それまでより長めにキスをした。 深夜3時過ぎ。 密やかに流れる時間も程よくゆっくりと廻るアルコールも、隣で話す悟浄の低い声も目が合う度交わすキスも。 すべてが心地良かった。 死んでもいいかどうかは置いておいたとしても、このまま時が止まってもいい。 数ヶ月もすれば今日の話の内容も飲んだ酒の味も忘れてしまうかも知れない。 いや間違いなく忘れるに違いない。 だが何年経ってもそんな時間を過ごした夜があったことは覚えているだろう。 夜が明けるまでもう一眠りするために悟浄と連れ立って廊下を歩きながら、胸の奥に蝋燭が灯ったような温かさを三蔵は感じていた。 三蔵が残業を終えて帰宅したのは、あと1時間ほどで日付が変わろうかという時刻だった。帰り道に寄ったコンビニの袋をテーブルの上に置き、タバコに火を点ける。2口吸ったところでビニール袋の中身を取り出した。 タバコに缶ビール、今朝使い切ってなくなった歯磨き粉とビールを取る際目に入った塩豆大福に、今晩か明日の朝用のおにぎり。最後に取り出したカリカリ梅と青菜のおにぎりを見て、ふと『あいつは梅か嫌いだったな』と思った瞬間力が抜けて椅子に座り込んだ。 いつも考えている訳ではない。意識して考えないようにしている訳でもない。だが、例えば今のように悟浄の嫌いだったものや逆に好きだったものを見たとき、忘れかけていた思い出とともに悟浄の顔が浮かんだ。 一人暮らしには慣れている。鍵をかけて家を出ることも暗い部屋に帰ってくることも、自分以外には物音を出す者がいないことも、以前とまったく変わらない。悟浄と暮らす前と同じである。 『人を好きになるってどんなかねえ』 あの言葉の答えを悟浄は少しは見つけられたのだろうか。 あの日に戻れたとしたら、自分は何かを教えられるようになっただろうか。 ぼんやりと座ったままの三蔵を置いて、時は静かに流れていった。 |