風呂上がりのビールも飲み終え、する事もなくなりそろそろ寝るかと思ったところに、悟空からの電話が鳴った。
『今度の日曜空いてる?地区予選が始まるんだけど』
出るなり前置きもなく用件を切り出されるのはいつもの事だ。
「分かった。行く」
と、これまた端的に答えた三蔵に、元気いっぱいな声で悟空が続ける。
『あの人も来る?!』
「......いや」
『そっかー。仕事もあるだろうし、仕方ないか』
残念がる悟空に、適当に返して三蔵は電話を切った。
行くとは言ったが、少しだけ気が重くなる。
一度会っただけの悟浄をえらく気に入ったらしい悟空に、一体何と伝えれば良いのだろう。



週末の予定を聞かれ、三蔵は従兄弟のバスケの試合を観に行くと答えた。
「へー。なあ、それオレも行っていい?」
別段不都合もなく、三蔵は了承し二人で観に行く事にした。
試合と言っても練習試合で、会場は三蔵の従兄弟である悟空が通う高校の体育館である。悟空が三蔵に声をかけるのは毎試合ではなく、大会の一試合目や決勝、または対戦相手が強豪校だったり、今回のように練習試合とはいえ年度初めだったりというような時だった。気合いを入れるためなのか、何かのジンクスなのかは分からないが、そう頻繁に請われる訳ではないため、余程の事がない限り三蔵は行く事にしている。
三蔵と悟浄が体育館に入っていくと、ストレッチをしていた悟空が駆け寄ってきた。
「三蔵!あれ?友達?」
「まあそんなところだ」
「オレ、三蔵の従兄弟の悟空です...ってデカいですね!いいなあ....!」
中学生と言っても通用しそうなぐらい小柄な悟空が差し出した手と悟浄は軽く握手した。ここに向かう道々、三蔵から従兄弟といっても共に養子であり、互いの養父養母が姉弟だったために従兄弟という間柄になった事を聞かされていた。なるほど見た目も恐らくは性格も似ていなさそうだと悟浄は思った。
間もなく試合は始まり、三蔵と悟浄の二人は2階のギャラリーで観戦する事にした。上から観た方が選手の動きもボール回しもよく見える。
「すげえな、あの速さ。ポジションは2番か」
パスを受けるための位置取り、攻守の切り替え、ディフェンスをかいくぐるドリブル、どれをとってもスピードは群を抜いている。惜しむらくは身長の低さだ。大概のスポーツは高身長が有利である事が多いが、特にバスケットボールはその代表格とも言える。
「将来はプロになりたいらしい」
プロ?Bリーグ?と訊いた悟浄に、「NBA」と三蔵は答えた。
「マジで?NBAっつったら、オレの身長でも低いぜ?」
「それでも目指すんだとよ」
「まあ過去にいなかった訳じゃねえしな」
バスケットボールのポジションは1番のポイントガードから5番のセンターまでで、その番号順に選手の平均身長も高くなってゆく。悟浄の身長でやっと1番のポイントガードの平均身長である。もちろんそれは絶対ではないが、2番のシューティングガードともなれば190cmは超えるのが一般的だ。
リバウンドを取ったセンターが振り向く僅かの間に、既にゴールに向け走り出していた悟空がほとんどフリーの状態でパスをもらい、華麗にゴールを決めた。仲間とハイタッチをした後、2階に向かってガッツポーズをしてみせる。
その後も悟空はコート内を縦横無尽に走り回り、最後まで疲れを見せることなく攻め続け、大差をつけて試合に勝利した。
「三蔵!腹減ったー!!!」
階段を降り始めると悟空から声がかかり、三蔵が頷いた。
「外で待ってて!すぐ行くから!」
出口へ向かう2人の背を「あ、タバコはダメだぞ!敷地内全面禁煙だからな!」と釘を刺す言葉が追いかけた。
俯き舌打ちをした三蔵の隣でくくくと悟浄が笑う。
さして力のこもっていない拳を受けた二の腕を悟浄が大袈裟にさすりながら外に出ると、西の空では陽が暮れようとしていた。オレンジとピンクの絵の具をぐるりと一混ぜして流したようなグラデーションの中、黄金色の夕陽がその暖かな色合いを引き連れ落ちようとしている。
日中は薄着で過ごせるほどの陽気だったが、太陽は色合いと共に陽気も連れていくことにしたようで、上着なしでは肌寒くなってきていた。肩をすぼませながら、ぶらぶらと2人して歩く。
校舎の横手にあるグラウンドには誰もいなかった。少し低くなっているそのグラウンドには降りずに、周りに生えている草の上をフェンス沿いに進む。フェンスの外側、塀までの間にある敷地にはところどころ樹木が植えられていた。
半周ほどしたところで三蔵が立ち止まる。ごそごそとポケットを探り始めたが、悟空の言葉を思い出したようで舌打ちの後唇を噛みフェンスに寄りかかった。
向かいに立った悟浄が、口寂しそうなその唇に自分の唇を合わせる。寄りかかっているせいでいつもより低い位置にある三蔵の唇を、掬い上げるように上向かせた。
触れるだけの挨拶のような軽いキスだったが、すぐには離れなかった。
「らしくねえな」
長いキスの後、三蔵がふっと笑う。
「一応ガッコーだし。コーコーセーっぽくね?」
「似合わねえ」
「あ、やっぱり?けどよ、なんか逆にドキドキしねえ?」
ほら、と耳に押し当てられた胸からは、どくどくとした音が聞こえた。
目を閉じると、それ以外の音が消えた。道路を走る車の音も、校舎から出てきた生徒らの賑やかな話し声も、木々のそよぐ音も全て消え去り、悟浄の心臓の音だけが、三蔵に聞こえる唯一つの音となった。
大人しく引き寄せられたままでいる三蔵に、悟浄も寄せた頭から手を離さず、ただ黙って鼓動を聞かせ続けた。
太陽は赤みを増して2人を照らし、重なり合うはずの2つの長い影は、まだ刈り揃えられていない草と混じり合っている。穏やかだった春の風が一瞬強くなり、ざわざわと草が揺れ、三蔵のシャツをはためかせ、悟浄の長い髪をなびかせた。
「あ」
胸から聞こえた心臓以外の音に三蔵が目を開けると、世界は音で満ち溢れた。
「三蔵ーーー!どこーーー???」
一際大きい音が耳に届く。
見ると、悟空が校舎の横で両手をぶんぶん振っている。
「いたーーー!!!そんなとこで何してんだよ!早く飯食いに行こうぜ!!!」
元気だねえ、と苦笑する悟浄と2人で校舎の方へと歩き出した。その間も悟空はぴょんぴょん飛び跳ねて急かす。あれほど試合で走り回っていたというのに、まだまだ体力は有り余っているとみえる。駅前にあるいつものラーメン屋に行くまでの間も、悟空は走っては振り返り、急き立ててはまた走るを繰り返した。
そうして着いた店で、三蔵がラーメン一杯を食べ終えるまでに、悟空は大盛りチャーシュー麺に炒飯、鶏の唐揚げと餃子3皿を平らげた。
その夜、ソファにぐでりと横たわる悟浄を尻目に三蔵はビールのプルトップを引いた。プシュッという音に悟浄が恨めしそうな視線を寄越したが、気にもかけずぐびぐびと飲む。
「くっそ、一滴すら入る気がしねえ」
どちらが多く食べられるか悟空と勝負した悟浄が呻く。年下でまだ学生、そして初対面の悟空に気を遣うことも遣わせることもない。それでいて無理しているわけでもない。悟浄にはそういうところがあった。
あー飲みてえとまだ呻いている悟浄に近づくと、三蔵はビールをほんの少し口に含んだ。そのまま唇を合わせ隙間から流し込む。
「ぬっるー」
悟浄がけらけらと笑った。



前回の練習試合と違い、今回の会場は何かの言葉をもじった名前がつけられた市の体育館だった。日曜日ということもあり、互いの学校の生徒や保護者らがそこそこ応援に来ている。三蔵は、それらいくつものグループから離れた場所に座った。
試合開始時間が近づき、両校の選手が会場に現れた。悟空が三蔵を見つけ、軽く手を振る。
悟空は三蔵がどこにいても必ずすぐに見つけた。どんなに隅にいても、大勢の中に紛れていても、声援を送る歓声の中一言も発していない三蔵を、いつも驚くべき早さで見つけ出した。
『三蔵の周りだけ空気が違うように見える』
そう言って悟空は笑った。
選手のウォーミングアップも終わり、ジャンプボールで試合は始まった。
走る。跳ぶ。
パスを出す。受ける。
泳ぐようにコートの中を走り、流れるようなフォームでシュートする。たった今もディフェンスを3人置き去りにし、レイアップシュートを決めた。
悟浄がいたなら口笛の一つでも吹いたことだろう。
悟空の学校はそこそこの強豪校だけあって、地区大会の予選第1試合目の今日は難なく快勝した。三蔵が座っている観客席下まで悟空が走ってくる。
「ごめん!今日はこれからミーティングあるって。一緒に帰れない」
頷いて三蔵は立ち上がり、体育館を出た。ほっとしている自分に気付く。聞かれれば言うしかないが、進んでしたい話でもない。
外は、あの日と同じ夕暮れ時だった。
違うのは、隣に悟浄がいない事だけだった。














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