扉を軽く叩く音がし、少しの間の後思った通りの男が入ってきた。
「こんにちは、それともこんばんわですかね」
昼というには遅く、夜にはまだ早いこの夕暮れ時の挨拶は確かに何と言えばいいのか。
だがそもそも何と挨拶されようが返事を返した事が無い自分にはどちらでも構わないと思いその言葉は聞き流した。
「大変そうですね」
「そっちは暇そうだな」
机の前に立ち積まれた紙の山にちらと視線を向けそう言った碧眼の男に嫌味とも取れる言葉を吐いた。
「心外ですね。僕だって結構忙しいんですよ」
さして気分を害した様子でも無く微笑を浮かべたままで男は答えた。
嫌味など痛くも痒くも思わない、この碧眼の男八戒とはそういう男だ。
それどころか二倍三倍になって返ってくる事の方が多い。
三蔵は机の上の書類に目を落とした。
開け放った窓からは昼間の熱気を残した生温い風が重たげに入ってきていた。
その窓に寄り背を預けて尚こちらを見ている八戒に告げる。
「にしちゃ頻繁に顔を出すじゃねぇか」
事実八戒は少なくとも週に一度は訪れていた。
手土産持参の時もあれば手ぶらの時もあり、どちらの場合も特に用事は無かった。
「貴方が忘れないように」
何を、誰を、とは敢えて訊かなかった。
訊けば「誰だと思います?」などと嬉々として問うに決まっている。
聞こえなかった振りをして三蔵は顔を上げずにいた。
それからは互いに口を閉じた。
筆を走らせる音と紙を繰る音だけが静かな部屋の中で微かに聞こえる。
緩やかに時が過ぎてゆき、無言の二人を置いて外では陽が落ちようとしていた。
「そろそろ、ですかねぇ」
ずっと遠く窓の外を眺めたままだった八戒が暫くぶりに言葉を発した。
「歩きだ、まだかかるだろうよ」
はっと顔を上げると満面の笑みを浮かべた八戒の顔が目に入った。
しっかりと聞こえたらしい。
「僕は悟空の事を言ったつもりだったんですけど?」
悟空は今は寺の敷地内で武道を教えている。
いつもならもう終わる時間だ。
自分の失態に舌打ちをすると八戒はより一層笑みを深くした。
「たっだいまあー!」
廊下を走るドタドタとした足音の後に勢いよく扉が開き悟空が飛び込んできた。
「静かに入って来やがれ!大体ただいまも何も同じ敷地内だろうがっ!」
悟空が騒々しいのはいつもの事でこれは八つ当たりに等しい。
だが当の悟空は全く意に介さず窓辺の八戒に寄った。
「あ!八戒、来てたんだ!何か持ってきた?」
「すみません、今日は何も持ってこなかったんですよ。でも次は美味しいものを沢山持ってきますね」
「やった!・・・ところでさぁ、悟浄はまだ?」
「三蔵はまだかかるだろうって言ってましたが、僕はもうそろそろ帰って来ると思うんですよね」
「え?三蔵が?三蔵今まで一回も悟浄の話した事ねーのに」
先刻の笑みを未だ顔に貼り付けたまま八戒が視線を寄越したが三蔵はそれには構わず煙草に火を点けた。
吸っては吐き吸っては吐き、休む間も無く吸い続け最初の一本はあっという間に短くなった。
すぐに二本目に火を点ける。
「じゃ僕はもう帰ります。お邪魔しました。また来ますね」
「なるべく早く来てくれよなっ」
「来んでいい」
どちらにも笑顔で答え八戒は帰っていった。
扉が閉まると悟空は振り向き不思議そうな顔をした。
「なぁ、八戒何であんなに機嫌良かったの?」
「知るか」
吸い終えた二本目を灰皿に力任せに押し付けた。
「じゃあさ、三蔵は何でそんなに機嫌悪ぃの?」
答える事も出来ず三蔵は目の前の書類に没頭している振りをした。
・いつか咲く 3 ・いつか咲く end ・TEXT ・TOP