「社長、どっか地方ないっすか?」
「何言ってんだ、お前。今帰ってきたところだろうが」
「いやいや全然平気なんで。何なら二件分行ってもいいっすよ」
「バカ言うな。お?さてはお前、過労死で俺を訴えようってぇ腹積もりだな?」
「・・・死んでどうやって訴えろと?」
「冗談に決まってんだろ。とにかくもう今日は帰れ。ちゃんと寝れよ」

そう言われるのも当然だった。ここのところ、悟浄は優先的に地方の仕事を引き受け、荷の積み降ろしに戻ってくるぐらいで、家に帰るのは風呂と着替える為だけと言ってよかった。三蔵と交わした会話は片手で数えられる程度の回数だろう。

「へーい」

努めて軽い調子で答えて事務所を一歩出た途端、悟浄は深い溜息を吐いた。車に乗り込みエンジンが温まるまでの間、煙草を吸う。午後十時。普通なら充分に遅い時間と言えるのだろうが、今の悟浄にとっては早過ぎる時間だった。寄り道先を考えるが思い浮かばない。その昔つるんでいた仲間達とはとうに縁を切っており、唯一腐れ縁で続いていた馴染みの女のところも駄目だった。
女というのはどうしてああも鋭いのだろう。

『あんたが何を考えてようがどうでもいいけどね。誰かの替わりだけはあたしもごめんだわ』

にっこりと、しかしきっぱりと女はふいに訪ねた悟浄にそう言った。何を相談したのでもなく、ただ世間話程度の近況報告を少ししただけで見抜かれた。さすがは腐れ縁と言いたいところだったが、悟浄は苦笑するよりほか無かった。それでも帰り際、女はこうも言った。

『替わりはごめんだけど、慰めて欲しくなったらいつでもどうぞ』

女というのはどうしてああも深いのだろう。
悟浄は温まり始めた車内で二本目の煙草に火を点けた。こうしていくら時間を潰したとしてもまさかここで一晩中という訳にもいかない。十時半を過ぎたところで悟浄は車を出した。だが、駐車場から出て曲がった先は家のある左ではなく右だった。少しでも伸ばしたいが為の遠回りであった。



自分の感情を隠すことなど悟浄にとって容易い事だった。それが何故今回に限っては上手く出来ないのだろうか。例え自分で認めたとしてもそれを三蔵に悟られないようにするだけで良いのだ。難しいことではない。笑いたくない時にも笑う、思ってもいない事を口にする、呼吸するのと同じぐらい簡単に出来た筈だった。
それが今、どうしても出来ない。
隣に座る三蔵に何度手を伸ばしかけたか。無意識に三蔵を追ってしまう視線を幾度戒めたか。眠れぬ夜の狭間に三蔵が寝返る微かな音をどれだけ聴いたか。
いっそ何もかもぶちまけて楽に、と思わないでもなかったが最後の理性がかろうじてそれを押し留めていた。
ハンドルを握る手が重く感じるのは、降り積もった雪の所為ではなく、間違い無く自分の鬱々とした気持ちの所為だ。叶わない望みは持たないと決めていた筈が、まるで自分に裏切られたような気分で、悟浄は行くあてのない夜の道路に車を走らせ続けた。




     *****




遠回りが効を奏して悟浄が家に着いたのはもうすぐ日付も変わろうかという時刻だった。見上げた窓は暗い。三蔵はもう寝たに違いない。胸を撫で下ろしつつも悟浄の足は動かぬままで、その窓を見上げながら煙に似た白い息を吐きながら佇んだ。暫くして漸く歩き出した足取りは軽いとは言えず、階段を一段また一段と、ことさらゆっくり昇る。閉じられた扉の前でまた暫し立ちすくむ。この扉の向こうには、まんじりともせずに過ごす長く苦しい夜が待っている。
悟浄は鍵を差し込み静かに回し、なるべく音を立てぬよう扉を開けた。外から見上げた通り中は真っ暗だった。しんと静まりかえった部屋はどことなくよそよそしい。開けたからには入るしかないと玄関へ一歩悟浄は足を入れた。
踏み入れた靴の先に何かが当たり、カツンと硬い金属の音がした。














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