| 寒さが厳しくなると共に仕事の方も本格的な始動を見せ始めた。天候の読みづらい冬の遠出はより余裕を持っての出発が必要となり、峠越えの場合は更に多く見積もる。悟浄も帰れない、もしくは帰ったとしてもまたすぐ出なければならないという日が増えていた。それでも積雪前に比べれば少なく、何日も続くという事は無かった。 厳寒の夜の空気は切れ味鋭い刃物のようで吸い込むだけで肺や心臓が痛い。悟浄は出掛けに突っ込んできた煙草をポケットの中で握っていた。まだ充分買い置きがある煙草を買いに行くと言って出てきたのはつい先刻。うっかり口にしそうになった言葉を呑み込み、そのやりきれなさを消化しようと出てきたのだった。 他人同士が共に暮らすとなれば必然的にルールが出来上がる。悟浄と三蔵の間にも勿論幾つかあった。悟浄が決めた<出掛ける時は一声掛けてから>や、三蔵が決めた<脱ぎ散らかすな>もその中に含まれている。第三者が聞けばくだらなさ過ぎて呆れそうだ。それとは別に、どちらが決めた訳でも無い、いつの間にか決まっていた暗黙のルールというのも存在した。 「オレが今日運んだ荷物って何だと思う?」 「さあな」 「考える気ないでショ・・・。ま、いいけどよ」 「で、何だったんだ?」 「一応聞く気はあんのね」 「さっさと言え」 「ハイハイ、答えはアザラシでした」 「・・・アザラシ?アザラシってあの海にいるアザラシか?」 「それ以外何があんのよ」 「何でアザラシなんか」 「引越し。水族館でさ、毎年冬には同じ敷地内のもっと陸寄りの方へ移動させんの」 「どうやって」 「でっかい檻に何頭かづつ入れて、その檻ごと運ぶわけ」 「嘘くせぇ」 「ホントだっつーの。ゾウアザラシってハーレム作るだろ?そこのボスの名前は“ボス”っつーんだぜ」 「ますます嘘くせぇ」 「ンな事で嘘吐いてどーすんのよ。何なら―――」 悟浄は続く『確かめに行ってみっか?』という言葉を呑みこんだ。そこの水族館は冬季は休業しており、春にならなければ入れない。 <先の話はしない> それが二人の間に出来た暗黙のルールだった。 「あー、オレ煙草買ってくるわ」 不自然に途切れた会話に三蔵も察したのだろう、続きを促さず「ああ」とだけ言った。 流れる二人の日常に、そんな些細な事が陰を落としていた。光在るところに必ず陰も在る。 果たせぬ約束は嘘になるのだろうか。例え果たす意志があったとしても、叶わなければやはり嘘になるのだろうか。 降り出した雪は、はらはらと舞いながら落ちてくる。塊から削り取られたかのような薄さで、一欠片一欠片は重さを持たず、吐息に触れただけで液体となる。こんな儚いものでも一旦地面へ落ちてしまえば積み重なり、冬中融けないのだから不思議なものだ。 立ち止まり煙草を取り出したところで、悟浄は背後の足音に気付き振り返った。三蔵だ。取り出した煙草をまた戻し、三蔵が来るのを待つ。どの道雪が降っていては吸うのに向かない。 「ビールが切れてた」 目の前まで来た三蔵はそう言うと追い越した。それに続いて悟浄も歩き出す。 「風呂上りは無いとな。って風呂沸いてんの?」 「ああ」 「たまに一緒に入るー?」 すぐさま返された返事は冷ややかな視線で、期待を裏切らない三蔵の態度に悟浄は自然と顔が綻んだ。ほどなく着いたコンビニでビールを買う。当初の目的だった煙草は結局買わなかった。店を出ると降り具合は若干強くなっており、二人は足早に家へと向かう。道路には既にうっすらと雪が積もっている。まだ誰も踏みしめていない雪はふわりとした綿飴のようで、歩くと足跡が残る。悟浄は歩きながら振り返った。並んだ二組の残された足跡の上に、後から後から雪が落ちている。それほど経たずに足跡は消えてしまうだろう。 「煙草、吸いてー」 「吸やいいじゃねぇか」 「雪ン中で吸えるかよ。帰ったら速攻吸ってやる」 「そうしろ。俺は風呂だ」 「えーオレが先の方が良くねぇ?アンタ長風呂じゃん」 「待ってられるか」 「じゃここは一つやっぱ一緒に、って事で」 二度目の返事には足を掛けられるというおまけも付いていた。 |