三蔵は。
三蔵との事は。
赦された証だったのだろうか。だとしたら何と残酷な赦しだろう。
それとも罰だったのだろうか。だとしたら何と重い罰だろう。

誰もいない真っ暗な部屋で悟浄はまんじりともせず、ぼんやりと考えながら一晩を過ごした。一晩という長い時間をかけて出たものはと言えば、灰皿から溢れ出たほどの吸殻と灰、それから捩り潰した煙草の空パッケージが二つ。それだけだった。カーテン越しの窓から朝焼けの空の色が窺える。悟浄は窓に寄り、カーテンを開けながら煙草を咥えた。見ると最後の一本で、パッケージをまた捩り潰す。これで空のパッケージは三つになった。舌は麻痺してしまったらしく、煙草の味はもう分からない。全身紫煙で充満している感じがし、身体のどこかに切れ目を入れればそこから煙が出てきそうだった。
窓の外は昨夜の霙が嘘のように晴れており、黄金色の太陽が顔を覗かせていた。一睡もしていない眼には酷く眩しく、悟浄は窓の傍を離れまたソファに腰を下ろした。
赦しであろうと罰であろうと、三蔵はもういない。三十年前に還ったか、それともまた別の時代へと飛ばされたか。いずれにせよ、今この世界に三蔵はもういない。
悟浄はまた眩しい窓の外を見遣った。
哀しいくらい晴れていた。




     *****




「よしっ、今年はもう一台増やすぞ!」

酔っ払った社長が瓶をどすんと置き、その衝撃で薄桃色の花びらがはらはらと舞い落ちてきた。かなりの大声だったにも関わらず、周囲も皆それぞれのグループで盛り上がっており、こちらに注意を払うものは誰一人いない。

「あん?お前ら信じてねぇな?やるっつったらやるぞ。いいか、未来なんてものはな、いくらでも変えられるんだ」

今年も言ったな、と隣の男が笑いながら耳打ちしてきた。だな、と答えつつ悟浄はこの男は何という名前だったろうと思う。同じ会社に勤めていながら顔を合わす事は殆ど無く、一同に会するのはこの花見ぐらいだった。もっとも従業員数は少なく両手で数えられるほどだ。忘年会も新年会も無い会社の唯一の社内行事である花見の翌日は全員休みで、年末年始を除けばこれまた唯一の社内完全休業日となる。この花見で毎年恒例になっているのが社長の『未来は変えられる』であった。社長を始め従業員皆大層な学歴など持たず、替わりに大なり小なり脛に傷を持っているという過去を考えれば、あながち戯言とも言えないだろう。

「おい、シケた面してんじゃねぇぞ。そんな面してっと運も下がるってもんだ」

座の真ん中を通り、社長が目の前に座る。酔っていながらもこういうところは変わらず目敏いなと悟浄は苦笑した。差し出された瓶に自分のコップを出す。なみなみと注がれた酒をぐいと飲み、今度は瓶を持ち差し出した。

「社長は元気っすねー」

手近にあったコップを取り上げ差し出す社長に悟浄もなみなみと注いだ。

「当たりめーよ。悟浄、お前は俺よりずっと若ぇんだ。そんなんでどうする」

返す言葉も無く悟浄は笑って誤魔化したが、上手く笑えた自信はあまり無い。

「お前、あるか?こうなりたい、こうなればいいってモンがよ」
「そりゃあ」
「例えば?」
「それはナイショ」
「言ったら叶わないってか?」

豪快に笑いながら社長が腰を上げ、他の従業員の方へ向かった。そこでも同じような問い掛けをしている。普通なら疎ましく思われそうなやり取りもこの会社に限ってはそんな事は無かった。皆口に出さずとも社長には感謝しており、スケジュール的にキツイ仕事があったとしてもこの社長の下だからこそこなしているという部分も多々ある。
未来・・・ね、と悟浄は呟いた。その呟きは誰に聞かれる事も無く、喧騒に溶けていった。先刻の社長の問いに答えた自分の言葉を思い返す。
嘘を吐くのが下手になったな、と悟浄は思った。



奇跡はそう度々起こらない。だからこそ“奇跡”と呼ばれるのだ。














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