| インターフォンの音で目が覚めた悟浄は時計を見た。午前十時。人を訪ねるのに充分常識的な時間ではあったが、訪ねてくるような知り合いに心当たりは無く、悟浄は無視する事にした。どうせ新聞の勧誘か何かだろう。インターフォンは間を置いて三度鳴らされた後、ぴたりと止まった。もう一眠り、と思ったが眠気は吹き飛んでしまい、仕方無く起きる事にする。 雲一つ無い快晴である。真夏の太陽はまだ午前中だというのに、ギラギラと容赦無く照りつけている。その陽射しは地上の全てを焼き尽くそうとしているかの如く恐ろしく攻撃的で、とても外に出る気にはなれない。仕事とは言えこんな日に新聞の勧誘とはご苦労なことだ、と悟浄は思った。 起き抜けの身体にニコチンを取り込むべく、立て続けに何本か煙草を吸う。その間にも気温は上昇し続けているのか、動かずともじっとりと汗ばんできて不快な事この上ない。 季節は違えど三蔵が消えた日も晴れていた。ふと思い出し、悟浄は何とも言えない気持ちになった。もうじき三蔵がこの部屋に居たのと同じだけの月日が流れようとしている。三蔵が消えても太陽は昇り、夜は訪れ、冬が終われば春、そして次に夏、とこれまでと何ら変わりなく移ろってゆく。六十億を越える人口の内たった一人、現われようが消えようが取るに足らないという事なのだろう。 三蔵が居なくなった時果たして自分はどうなるだろう、と思っていた悟浄にしても同じ事が言えた。朝起きて仕事に行き、終われば帰って来て寝る。食べて、飲み、煙草を吸う。 胸が張り裂けそうだ、という言葉があるが実際に張り裂けたりはしない。 寂しくとも本当は死なない兎と同じく人間も死んだりはしない。 それともそうならないのは自分が中途半端な人間だからなのだろうか。 未だに三蔵との事をどうすればいいのか悟浄には分からなかった。ふとした瞬間に蘇ってくる三蔵の顔や声にどうしようもなく胸を締め付けられ、いっそ忘れてしまおうと思えば、その度より一層鮮やかに蘇ってくる。いつかもっと時が経てば自然に薄れてゆくのかも知れない。だが一方でそれを嫌だと思う自分もいる。忘れたいのか忘れたくないのか、それさえ分からずにいた。 外の晴天とはまるで正反対の薄気味悪い鬱蒼とした樹海に思考はいつしか足を踏み入れていたようだ。引き返せなくなる前に打ち切りにしよう、と悟浄は立ち上がった。気付けば正午はとうに過ぎている。さして空腹は感じていなかったが、何か腹に入れておいた方がいいだろうと冷蔵庫を覗く。が、中にあるものと言えば消費期限が一ヶ月も前に切れている卵だとか調味料ぐらいで碌な物は無かった。前回買い物に行った日さえ覚えていないぐらい前なのだから当然ではある。奥に転がったスポーツドリンクのペットボトルを見付け、それを手に取り冷蔵庫を閉めた。 立ったまま飲みながら悟浄は部屋中を見渡した。一見片付いているように見える。だが、それは単に物を出し入れしたり動かしたりしていないせいであって掃除が行き届いている訳では無い。その証拠に物や家具の上は明るい陽射しの下では積もった埃で白っぽく見えた。テレビの上に置かれた鍵、あれなど持ち上げればその下にはくっきりと鍵の跡が見えるに違いない。そう思って悟浄は苦笑した。普通、鍵は出掛ける時には必ず持って出る。跡が残るほど埃が積もるなど有り得ないのだ。そう、あの鍵は三蔵が使っていた鍵で三蔵が消えてからただの一度も触れていない鍵だった。 またしても樹海の前に戻ってしまったようだ。半分ほど飲んだスポーツドリンクをまた冷蔵庫に仕舞い、悟浄はシャワーで汗を流そうと風呂場へ向かった。 丁度風呂場から出てきた時、再びインターフォンが鳴った。今日は日曜日である。悟浄自身は日曜日だからといって休みとは限らないが、大抵の勤め人は休みであろう。平日には捕まえられないだろうから今日中に、と諦めずに午後にもやってきたといったところだろう。新聞を取るつもりなどさらさら無い悟浄はまた無視する事にした。新聞など全く必要無かった。ニュースにも興味は無いし、すっかりテレビを見ない癖が付いてしまった今ではテレビ欄も要らない。先刻飲み残したペットボトルを出し、悟浄は一気に飲み干した。三度目のインターフォンが鳴る。午前と同じように諦めるだろうと思ったのに反して、間を置いて四度目が鳴った。非常識に連打はしないが、諦めずに鳴らし続けている。根負けしたのは悟浄の方だった。はっきりと断った方が無駄足を踏ませる事も無いし、自分も煩わしい音に悩まされる事も無い。 「悪いけど―――」 鍵穴から外を窺う事もせず扉を開けた悟浄が見た人物は新聞の勧誘人では無かった。 そこには一人の少年が立っていた。 |