付いてきたものの男は玄関で躊躇っていたが、意を決して入った後入り口近くに腰を下ろした。そしてぐるりと室内を見回した後は動かなくなった。明るい蛍光灯の下で見る男の顔は蒼白で寒さ以外に相当深い事情が窺える。ちらりと後悔の念が過ぎったが今更また追い出せる訳も無く、悟浄は買ってきたものを仕舞い缶ビールを開け男の前にも一本置いた。だが、男は見向きもせず蒼ざめた顔で放心したままだった。

「腹減ってねぇ?」
「酒は飲まない人?」

悟浄の問いかけにも一切返事をせず男は宙を見詰めるだけだった。ぴくりとも動かない人形のような男を悟浄は観察した。
年は自分と同じぐらいだろうか。着ているものは上は何の変哲も無い白シャツ、下はグレーのスラックス。服装は地味なのに対し髪は派手に金髪。顔は表情を失っている今でさえ人目を惹く美貌。実際昨夜は一瞬女かと思った程だ。
奇妙な空気が流れる中、早くも飲み干した缶を悟浄は握り潰した。先刻までの空腹は消え失せ、結局ビールだけで寝る事にする。

「ソファでもどこでも適当に寝てくれや」

寝室として使っている部屋に足を踏み入れながら悟浄は男に声をかけたが、予想通り何の反応も無かった。着ているものを脱ぎ捨て布団に潜り込む。隣の部屋からは物音一つせず、未だ同じ態勢でいるだろう男の事を思うと暗澹たる気持ちになり溜息が出た。
考えるより先に動くのはいつもの事で毎度考え無しの浅はかさを後で悔やむのだが、それもその時だけで何度同じ事を繰り返しても学習しない自分に悟浄は二度目の溜息を大きく吐いた。




     *****




昼近くにやっと目が覚めた悟浄は居間に入って驚いた。男はあれから一歩も動かず一睡もしていないようでやつれきった顔をしていたのだ。どんな事情があるのか知らないがここで死なれては目覚めが悪くなる。悟浄はコーヒーを淹れ、ミルクなどという気の利いたものは無い為砂糖だけカップと一緒に男に差し出す。

「倒れるぞ。とりあえずこれでも飲め」

顔の前に差し出されたカップからコーヒーの香りが湯気と共に立ち上がり漸く男の視線が動いた。まず悟浄の顔を見、次いで目の前のカップに移り、だらりと垂れ下げられていた腕がゆっくりと持ち上がりカップを受け取った。

「熱いからな。火傷すんなよ」

一口啜った男が熱さに顔を歪め舌を出したところで悟浄は訊いた。

「アンタ、名前は?」
「・・・・・」
「あ、っとオレは悟浄。沙悟浄」
「・・・・・・・三蔵」

何拍もの間を置いて男が答えた。悟浄はそれを聞いて昨夜寝る前に浮かんだ『もし記憶喪失だったら・・・』という懸念が払拭されて一安心した。名前を覚えているならきっと大丈夫だろう。もし記憶喪失なんかであったとしたらどうしたって警察に連絡しなければならない。安心した途端現金なもので空腹を思い出し、悟浄は適当に二人分の朝食だか昼食だかを用意し始めた。
大した食料が入ってない冷蔵庫を開け卵とハムを出し、それをフライパンで焼きながらパンもトースターで焼く。数分で出来上がったものをテーブルに載せ、未だに一杯目のコーヒーを啜っている男を呼んだ。男は断ったが悟浄は強引にテーブルに着かせた。食欲は無いようで悟浄が食べ終わっても男の皿の上は殆ど減っておらず、崩れた卵が冷えて固まっていた。

「アンタさ、あ、三蔵だったっけ。どっから来たの?言いたくねぇなら別にいいけどよ」

ぴくりと肩が動いたが答える様子は見られず、悟浄は二杯目のコーヒーを淹れながら食後の一服に火を点けた。いい年した男が家出か何かは知らないが、単に帰りたくないだけだとしたらそれほど長くはならないだろう。それまで犬か猫でも飼っていると思えばいい。

「・・・・・・・言っても信じねぇよ。俺ですら信じられねぇんだからな」

期待していなかった返事が返ってきて悟浄は驚いたが、もっと驚く事になるとはこの時は思いもしなかった。














・1 ・TEXT ・TOP ・3