| 自宅から車で二十分の会社に到着した悟浄は、事務所に入り日報と伝票を持ちユニック車に乗り換えた。 この会社に入社して五年になる。中学卒業後、家を飛び出してからはお決まりのコースを歩み、いわゆる“社会のクズ・ダニ”と呼ばれて数年過ごしたが、ある日唐突にそれまでの生活をきっぱりと捨てた。落ち着いた、と言えば聞こえはいいが実際はやり場のない怒りを発散させる気力すら失っただけだった。だが、そんなチンピラ上がりの若造をまっとうな会社が雇ってくれる筈も無く、顔見知りの、と言っても主に夜の街で働く女達だったが、彼女らの家を転々と泊まり歩きながら短期のアルバイトをしていた頃今の社長と知り合った。作業助手として働きながら運転免許と作業免許を取らせて貰い今に至る。 エンジンを掛けたところで携帯が鳴り、悟浄はポケットから電話を取り出した。 『少しは休めたか?悪いな、二日しか休みやれなくて』 電話は社長からで今日の配送先の確認といつものように休みが少ない事に対しての詫びだった。 小規模企業にとっては労働基準法など絵に描いた餅と同じで何の役にも立たず、監査が入らない限り改善される事は殆ど無い。まして規制緩和後の運輸業界は新規参入事業者が増え続け、完全な供給過多状態にあり低価格競争が熾烈化している。少ない発注をものにする為には、最低価格まで落とした上、プラスαの作業と時間厳守の信用を守らなければならない。時間的、距離的に余裕が無ければ次の配送先へ直行し、そこで時間まで仮眠を取って休息に充てるという日が続く事もままある。 「充分っすよ。じゃ行ってきます」 実のところ休めた感は全く無かったが、それは仕事とは関係の無い話で悟浄にはそう答えるよりほか無かった。終話ボタンを押し電話をしまった悟浄の脳裏に追い払った筈の三蔵の姿が再び浮かんできたが、今あれこれ考えても始まらないと思い直し、明けつつある夜を照らすヘッドライトに意識を集中させた。 ***** 飛び入りも入らず予定通りの仕事を終え、夜九時過ぎに帰ってきた悟浄が見上げた部屋には灯りが点いていた。古すぎず新しすぎもしないアパートの二階、一番左の部屋のその明かりを見て出た溜息は、安堵の為か落胆の所為か悟浄自身判断が付かなかった。 玄関の前で大きく深呼吸をし、必要以上に強くノブを握り扉を開けて入った。予想通り三蔵は居たが、今朝までの虚ろな目はどこかへ消え失せ、代わりに生気を宿していた。きっとこれが本来の三蔵なのだろうと悟浄は知りもしない男ながら何となくそう思った。 ただいま、と言うほどの関係でも無く無言のままソファに座り、三蔵の変化に戸惑いを感じつつ悟浄は煙草に火を点けた。 半分吸ったところで三蔵が三十時間以上振りに言葉を発した。 「・・・どうして俺を連れてきた?」 「・・何となく?」 誤魔化すような返事に三蔵が納得しない視線を寄越し、悟浄は天井に向けて煙を吐いた後改めて答えた。 「オレさ、ガキの頃よく家出してよ。まだ明るい内ならいいけど、夜中なんてどこにも行く所無ぇから大変だった訳よ」 そこで一旦切って三蔵を見た悟浄は、目だけで続きを促され再び話し出した。 「で、行ってたのが公園。どうせ家に帰らなきゃならねぇのは分かりきってる事だし、ある程度時間潰せればそれで良かったからな。アンタ見て何となく思い出した」 家出の理由については話したくなかったし三蔵も訊かなかった。 それから三蔵は口を開きかけては閉じを繰り返し、何事か話すのを躊躇っていた。悟浄にしても、話したくない事の一つや二つ誰しも持っているのだし無理に聞き出そうとは思わなかった。いずれ話したくなったら聞けばいい、その前に出て行く事だって考えられる、それまではこの部屋に居たとしても構わない、と腹を決めていた。どうせ寝に帰るだけのようなもので、しかも毎日帰って来られるとも限らない家だ。 やがて覚悟を決めた三蔵が静かに切り出した。 聞いた悟浄は頭がおかしい男だったのかと三蔵の顔を暫し凝視したが、その目に狂気は窺えずしっかりと焦点が合っており、冗談でも妄想でも無いのだと思わざるを得なかった。にしても早々と納得出来る話でも無く、聞かなかった方が良かったとさえ思う。これならば記憶喪失の方がまだマシだったかも知れない。 三蔵は「俺は三十年前から来た」と、そう言ったのだった。 |