「900円のお返しです」

釣銭と共にビニール袋を店員から受け取り悟浄は店を出てエンジンをかけたままだった車に乗り込んだ。袋の中身は煙草で、ハイライトとマルボロ赤がそれぞれ1カートンづつ。
ハイライトがお気に召さなかったらしい三蔵に悟浄はあの翌日三種類の銘柄の煙草を買って帰った。同じ喫煙者として、好みでない煙草を吸う事は喫煙の楽しみを半減させるという事を充分承知している為だ。まず1mgの煙草を一口吸った途端三蔵は、目を細めてその一本をじっくりと見回し始めた。軽すぎて穴でも空いているのかと思ったらしい。続いて6mgも吸ってみたがやはり少し物足りなかったらしく、結局12mgのマルボロが気に入ったようだった。それ以来、買う時は常に二種類となっていた。
車を走らせほどなくしてアパートが見え、悟浄はカーテンから洩れる灯りを目の端に捉えた。自宅の窓を見るなど以前は無かった習慣だった。その窓に何を期待しているのか、灯りが無い事か、それとも点いている事か、自分でも分からないまま悟浄は無意識の内に目の端に入れていたのだった。





「たっだいまー」

玄関を開け靴を脱ぎながら口にする。これも以前は無かった習慣だ。当然だ。暗いと分かっている窓を見る、言うべき相手がいない言葉を口にする、そんな事をする人間などそうそういやしないだろう。ただ、今の悟浄の場合に限っては、相手がいても『おかえり』の言葉が返ってきた事は無く、『ああ』もしくは目が合えば無言のまま頷いてみせる、がせいぜいだった。そんな三蔵が今日に限って玄関まで迎えに出て来た。非常に珍しい出来事にぼうっと突っ立っている悟浄の前に手が出され、反射的に持っていた袋を手渡したところで三蔵が出迎えに来たのは煙草だったのかと気付いた。この瞬間の軽い脱力感は気のせいにして悟浄は早くも背を向けている三蔵の後に続いた。
もうじきやってくる冬を前に外は夜ともなれば冷え込んでいたが、部屋の中は暖かく夕飯の匂いが漂っている。自分の家であって自分の家でない、むず痒くなるような感覚を悟浄は帰る度に味わっていたが、不快かと問われればそうではないような気がした。





「あ、明日オレ帰って来ねぇから。夜中に終わるからそのまま次んとこ行くわ」

夕飯の一品であるお浸しに醤油を垂らしながら悟浄が言った。三蔵が自分の帰りを待っているなどという事は勿論無いと知ってはいるが、共に生活している状況ではこれも礼儀だろうと思う。

「寝ないで大丈夫なのか?」
「真っ直ぐ行きゃ早く着くから向こうで少し寝る」
「車の中でか?」
「座席の後ろにベッドが付いてっから」
「お前みたいに図体がデカくて寝れんのかよ」
「そりゃ足は伸ばせねぇけどな」

その姿を想像したのか三蔵の顔に少し笑みが見えた。確かに狭いスペースで長身の男が丸まっている姿は自分で想像してもおかしく悟浄もつられて笑った。
二人揃っての食事はそうそう多くはなく、更にその食事時に笑みが零れるなど滅多にあるものでは無かった。

「帰って来たら鍋にしようぜ」
「明後日は何時に帰って来んだよ」
「あー、次が入らなかったら夕方には帰って来れっけど分かんねぇな」
「もしお前が帰って来なかったら俺が一人で食う事になるじゃねぇか。絶対ご免だな」
「電話する・・って無かったんだよなー。ちくしょー不便だな」
「休みまで待てばいいだけの話だろうが」

その休みに三蔵がまだ居るとは限らない。悟浄にしても一人で鍋を食べたいとは思っていなかった。
三蔵はもう帰れないと思っているのだろうか。
それとも帰る事を望んでいないのだろうか。
可愛気の無い台詞は次々と吐く癖に肝心な事は口にしない三蔵の望みは、悟浄には全く分からなかった。
そして悟浄自身、鍋が食べたいと思ったのは誰であれ相手がいるからなのか、違うともそうだとも言い切れないでいた。














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